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「下り坂」の下り方

2017年11月09日 | 読書
 「しんがりのリーダーシップ」という語を知ったのは、月刊誌『本』の平田オリザの連載だ。その時の感想メモを残してある。→「出でよ、しんがりのリーダー」。自分はそう出来たか、甚だ自信のない幕切れだった。しかし、その考え方は「今」を見る大きな視点でもある。連載がまとめられた新書を改めて読み直す。



2017読了113
 『下り坂をそろそろと下る』(平田オリザ  講談社現代新書)


 著者が序章で書くように、「『里山資本主義』(角川新書)の文化版のようなもの」というイメージが確かにある。経済や雇用だけで、私たちが今抱えている問題が解決できるだろうか。価値観に深くかかわることでなかなか容易ではないが、著者は「いまの少子化対策に最も欠けている部分」として次の事柄を挙げている。

 子育て中のお母さんが、昼間に、子どもを保育所に預けて芝居や映画を観に行っても、後ろ指をさされない社会を作ること。


 そこにたどり着くためには、いくつもクリアしなければならない問題がある。雇用や給与という経済政策だけでは駄目だろう。文化政策に関わること、職場環境のこと、何より社会全体に浸透している競争や排除の論理から抜け出すこと…。著者はそのための「コミュニケーションデザイン・教育」を強調している。


 演劇教育を中心に多くの文化振興に携わっている著者は、その場を都会ではなく四国や九州、近畿、東北などに広げている。「まちづくり」「まちおこし」のために文化政策の充実を訴えるが、そのセンスを一番重要視している。単なるイベントづくりとは違う、地元肯定感を生かした創造性、問題解決能力かと思う。


 情報化社会は、地方に住む者のハンディを時々忘れそうにさせる。しかし結局資本や文化的搾取が行われていることに変わりない。賑わいを求めて中央志向の有名店を集める発想から抜け出られない街もある。著者がいう「文化の自己決定能力」を育てるには、最近強調されない「本物のふるさと教育」が必要だろう。