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桜と絵本と豆乳と

アガワさんのアズキ

2017年11月14日 | 雑記帳
 一週遅れで観ている『陸王』。良くも悪くも池井戸ワールドだなあと感じている人も多いのではないか。半沢直樹からずっとこの路線には「配役の妙」があって、そこも面白さの一つである。落語家やお笑い芸人だけでなく、おっ意外という抜擢がある。今回はなんといってもアガワさん、阿川佐和子ではなかろうか。


 その件をアガワさんが新潮社『波』の連載で書いている。本人言うところの「持って生まれた覗きたい癖」ゆえに引き受けたのだろうが、初経験のドタバタが面白く可笑しく描かれている。役所広司演じる主人公の仕事上の相棒という役どころ、主人公の妻役が檀ふみなので、二人の関係と境遇(笑)において絶妙な配役だ。


 連載のタイトルが「やっぱり残るは食欲」。これは檀との共著「ああ言えばこう食う」「太ったんでないの」の路線で、食べ物の話題も当然登場する。ドラマ撮影への差し入れ、おやつのことが書かれているわけだが、その流れでよく描かれる阿川家の家族、特に父親の性癖に文章が展開していき、ある文が目に留まった。


 「父はときどき思い出したように、『小豆を炊いてほしい』と母にせがむことがあった。」…「小豆を炊く」という表現は、今まであまり目にした記憶がないような…。去年から時々小豆が食べたくて、キッチンに立ったのだが、それは「煮る」であり、ネット検索するときもその語句で調べ、調理法を確認した記憶がある。



 改めて調べると「炊く」の表記も散見する。普通「米飯」に使われるが、その意味で小豆を煮ることは近いのかもしれない。一番難しいのは水加減、火加減であり、その見極めが味を決する。「豆」全般に言えるだろう。どのポイントでどんな加減をするかが「炊く」には込められる。それは人間の生き方にも通ずる。