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生き方の工夫のポイントは…

2020年01月16日 | 読書
 【努力しない生き方】(桜井章一 集英社新書)

 こうした「~~しない」という表現は、今のストレスフルな社会において、一種の救いになるのか、ずいぶん書籍として出回っているように思う。たくさん読んでいるわけではないが、それらに共通するのは、おそらく「~~する」「~~したがる」行為や心理の省察だろう。そして、誰しも思い当たる自分を感じる。


 能力を高めたい、他人より秀でた存在でありたい…それ自身はごく自然なことだ。従ってそれを「否定しない」こともまた大切で、その次の、ではどうするか、という段階が問題だ。普通は「努力する」「頑張る」「求める」だろう。しかし、これらの「足し算的行為」では必ず行き詰まるというのが筆者の考えである。


 もちろん、単に「しない」だけの引き算的な生き方を主張しているわけではない。言うなれば、「努力を工夫にかえる」発想なのである。工夫の方向は、力を抜く、楽しくする、程々にする心がけを基に行為を見つめることだ。ガチガチに固まった心と身体を持っている中高年が、その意識を持つメリットは大いにある。


 しかし、根本では真逆的な意識も捨てられない。例えば、提言の一つ「安心・安全を求めない」。現代社会において、真っ先に強調される「安心・安全」が、人間を弱くしている事実は、誰もが思い当たるだろう。危険と隣り合わせの状態によって培われる力の存在は認めざるを得ない。そこに蓋をしてしまっている。


 山登りの趣味はないが、その嗜好がある人の内面には限界への挑戦、困難の克服が宿っていて、生きる実感につながる。レベルが下がっても自然に触れ合う大切さはやはり手離してはいけない。脳化や脱身体化が進む世の中では、生き方として自ら働きかけ、工夫するポイントは、人工物以外との接点にある気がする。