すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

余計なものを遠ざける

2020年01月17日 | 読書
 最近あまり使わなくなったけれど、「癒し系」という語があった。
 「彼女は癒し系だよなあ」と言ったあとに、パロディっぽく「こちらはイヤラシ系か」というギャグをいうのも定番だった。


 さて、久しぶりに、いがらしみきおの新書(漫画)を読む。タイトルは【癒されたい日のぼのぼの】だ。
 八コマベースの絵は、まさしく「いがらしワールド」で、わかるようなわからないような、ためになるようなならないような、時間の無駄なようなそれでいいような感じだ。



 巻末に、いがらしの「癒されたい日」という詩がある。
 こんな書き出しだ。


 癒されるって どうやって癒されるんだろう

 誰かに慰めてもらう
 誰かに撫でてもらう
 誰かに抱きしめてもらう

 それで癒される?
 そうじゃなくてもっとちがう癒され方はないのかな



 昨日は「努力しない生き方」を考えて、働きかける、工夫すると書いたが、そう能動的にならなくとも、ぼやーっとしていられる時間を大切にしたいものだ。

 人が癒されたいのは、悩みや傷があるから。
 解消までたどり着かなくとも、ひと時忘れるような感覚が欲しいのだ思う。


 この漫画では「第六章 花鳥風月はおもしろい」が典型的だろう。

 人の手出しが極力ないものがごくふつうに存在して、移り変わっていくようすを共に過ごしていくような感覚を持つことによって、心は本来の姿を取り戻せるのではないか。

 それを解説の呉智英は、こんなふうに書いた。

 「それがそのままそのようにあること

 人工物にあふれる社会の中にいると、人も自然の一部であることを忘れがちになる。

 自然になるひと時…余計なものを遠ざけなければならない。