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ぼつぼつと四半世紀前の事

2020年01月23日 | 教育ノート
 学校を退職した年の4月冒頭から何回か懐古録を書いた。

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 https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/d/20160404 
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 それから昨年末も平成回顧という形で、やや裏面的な振り返りを記した。
 今、また少し書き残しておこうと思ったのは、「過去の整理」は大事だと改めて考えたからだ。

 教育界では「変革期」というフレーズは頻繁に使われるが、現在の状況もまた大きな山場のような気がする。
 結局、自分自身の立ち位置と考えの確かめだけに終わるかもしれないが、それも何かを支えると信じて、キーボードを叩きたい。

  ☆1

 山間部へき地校で複式学級を2年続けて受け持った私が、新年度(94年度)の異動内示をK校長から知らされたのは、トイレの中だった。

 笑い話ではない。
 3月卒業式当日、祝賀会を某所で行っていた最中にトイレに立った時、その場に居合わせた校長が「4月から、N小で教務主任だから」と手を洗いながらぼそっと言った。
 「えっ」と異動先よりこのシチュエーションかと驚いた。

 教職員の年齢層バランスが歪なこともあり、担任を外されるかもしれないと予想していたが、案の定であった。
 
 まだ30代でやりたい授業構想はたくさんあった。
 しかしまた学校づくりという視点にも興味を持っていた。
 それは、法則化運動の中で教育課程、学校づくりが次第にクローズアップされていた時期だったし、野口先生が教頭職で出版していた学校運営に関する本にも刺激を受けていたからだ。

 学年2学級規模、児童数約400の学校は、自分の母校であった。
 この年度替わりでおよそ半数の職員が替わる大規模な異動。

 少し経ってから、懇意にしていただいたM教育長に、「あまり大きく替わったので、従来のことが見えにくく困る」と訴えたら、「今までのやり方を変えようと思ったから、替えたのだ」と、その意図を知らせてくれた。

 ぐっと責任の重さを感じた。
 当時、数年前に文科省指定公開をした体育科の実践校として名が知られていた学校は、外から改革を迫られていた。
 たぶんそれは、子どもも含めた内からの願いがあったのかもしれない。