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1月17日が遠かったあの日

2020年01月18日 | 雑記帳
 昨年末に雑駁な平成回顧録を記したのは、元号が約30年間だったという理由もあった。1月17日の朝は、25年つまり四半世紀ということが頭に残った。25年前のあの日、ずいぶん遠い話なのだが、それは歳月より自分という一個の人間の感覚、見識の小ささと言える。


 あの年1月17日は、三学期始業式。朝起きてTVをつけると神戸や大阪の方で大きな地震が起きて、被害が出ているという報道が盛んになされていた。驚きはしたが、正直それより学期スタートへ向けての支度が大きく頭を占めていた。そんな自分を不思議とも感じなかった。


 具体的なことは思い出せない。式でその事が触れられたのか、職場で話題になったりしたのか、皆そんな意識も余裕もなかった気がする。その日職員で仕事始めの小宴を持った。前年夏に不慮の出来事があり催しを自粛してきており、年明けを期して杯を重ねたのだった。


 地元在住の私は、赴任した校長を二次会と称し「この地へ来たら、ここは知っていてほしい」と酔いにまかせて、古く狭い一杯飲み屋に誘った。そのカウンター越しに見たTV画面が忘れられない。もうかなり遅い時間帯だった。中継で空から神戸の街が映し出されていた。


 「えっ、まだ燃えているの」…随分能天気な一言を吐いたが、しばらく画面から目が離せなかった。その後何を話し、どうしたか記憶はない。ただ、妙にそこだけ鮮明に覚えているのは、こんな向き合い方をしている自分が情けなかったからか。95年はそんなふうに始まった。


 思い出したら、少し94年からの学校4年間を紐解いてみたくなった。ぼちぼちと考えつつ書いていこう。