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令和一周年に見ていること

2020年05月01日 | 雑記帳
 昨年4月に発表され、一か月後に始まった「令和」という元号。完全に馴染んでいるかと言えば、少し怪しい。「天皇陛下」とTVから音声が聞こえてきたとき、一瞬イメージする顔がすり合っていない人は私だけではないだろう。平成初めもそうだったか。まあそれはいい。時間が解決してくれることは確かだと思う。


 そんな雑念をぼんやり考えられる平穏は、ここ数か月の災禍でずいぶん揺らいだ気がする。皇室が安寧を祈るように(不敬な表現と叱責されそうだが)、もう一度「令和」の深い意味を紐解いてみよう。「」とは「命ずること。おきて。長官。よいこと」。一方「」とは「おだやか。仲よくする。あわせること」である。


 平成の桜を懐かしむ 2014.4.30

 出典は何という専門的なことを言わなくとも、「よいことが起きるように、皆おだやかに、力を合わせよう」といった解釈はできるし、素直にそう思う。生前譲位の意義をどのように解釈するか議論はある。ただ、現上皇が意図したことに「混乱」はあるはずもなく、より良い世の中への願いが詰まっているのは確かだ。


 令和の最初の一年がこんな有様になるとは、一年前誰ひとり予想した者はいなかったはずだ。しかし、こうした危機について警告を発し続けていた学者や研究者はいたし、それに対する本気度が自分も含めて足りなかった。しかし起きてしまった「戦争」で見つけたいのは、原因追究でなく、収束・終息の道しかない。


 個別政策の是非は判断しにくい。見渡せないことがあまりに多すぎる。だからこその専門家会議だろう。しかし専門家でさえ複数の可能性を指摘するに留まるゆえに、一部を根拠に道を示す人が自己利益的な誘導をしているかどうか、これを見誤ってはならない。命じられて和するのではなく、和するために令がある。