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この現象の向こうの本質は

2020年05月16日 | 読書
 未読の一冊である『暮らしの哲学』(池田晶子 毎日新聞社)を読んだ。急逝する前の週刊誌連載コラムである。春・夏・秋・冬そして春と章分けされ、その折々の考えが、いつもの池田節とでも呼べる調子で語られている。哲学の関心は「現象の向こうの本質の側」にあることを徹底して書き続けた、最後の一年だ。


 今、私達の置かれている「現象の向こうの本質」とは何だろうとつくづく考える。コロナウィルスが意図を持って人類征服を目論んでいるわけではない。しかし一種の生存競争であることは確かだ。生物学的な決着がどうなるのか、専門家たちの叡智がうまく結集すればいいのだが…。世界を見渡すと不安だらけだ。


 病気以外の感染とも言える「不安・差別・偏見」という感情の拡大、暴走が気になる。この本質は一種の自己防衛のように思えるが、大きな意味で「負のスパイラル」に陥ることは明白だ。池田の論を繰り返せば「知ることより考えること」。つまり情報に接し沸き起こる感情を、冷静に内省する目こそ肝心と言える。



 この著で一番力強かったのは「言葉の力」。「苦難や危機に際して人が本当に必要とするものは、必ず言葉であって、金や物ではあり得ない」…何を寝言を言っているかと多くの批判が聞こえてきそうだ。しかし「必ず守る」という言葉が信ずるに足りていれば、マスク2枚や10万円がもっと心に響く気がするのだが…。


 「我々の日常とは、よく考えると、明日死ぬ今日の生、その連続以外の何ものでもない」と考えれば、心を動かす言葉しか求めないだろう。それゆえ、この感染によって、最後の言葉も交わすことのできない別離の哀しみが報じられると胸に迫る。それも受け止めなくてはいけない本質だと、自分に強く言い聞かせる。