『カキフライが無いなら来なかった』
(せきしろ 又吉直樹 幻冬舎文庫)
『まさかジープで来るとは』
(せきしろ 又吉直樹 幻冬舎文庫)
の続きで…。
人気番組らしい『プレバド』が日曜昼に週遅れで放送されている。
先日はレギュラー出演者の梅沢富美男が、俳句作りで「永世名人」に昇格する場面を、たまたま観ていた。
講師である夏井いつきが、ランクアップの訳をこういう賛辞で表した。
「季語を信じる力がある」
それが俳句をつくるうえでの最大ポイントでもあるかのように、力強い言葉だった。
そうかあ…句作など年に一度、二度しかやらないが、今さらながら自分にはない力だと痛感する。
だから…自由律でやってみたらどうだ!
と、そんな単純なものではないだろう。
そんなことが頭をよぎりつつ読む。
『まさかジープで来るとは』の解説で、俵万智は「(自由律とは)ただの『自由』ではなく『自由』でありつつそこに『律』がないとダメなのだ」と断言する。
「律」とはそもそも「秩序、きまり」である。
「自由」と相反する語との組み合わせであり、考えようによってはこれほど難しいものはない。
で、『カキフライ』の句である。
そこに「律」があるのか、という問いを立ててみよう。

無理矢理この句を俳句?風に仕立てたら
「カキフライ 無いなら来ない 冬の宴(えん)」となろうか。
これではしょぼい姿はイメージできるが、それほどのインパクトは感じられない。残念、つまらないという感情は見えてもエネルギッシュさが伝わらない。
それは定型でまとまっているからだとも、あまりに陳腐な下句をつけたからだとも考えられる。
それに比べると「カキフライが無いなら来なかった」という潔さは、そこに憤まんやるかたない姿が見えて、印象的だ。
カキフライにかぶりつきたかった話者の現状が垣間見える。
使った語の流れに、若干の音韻的な要素も混じっている。
だからエビフライより、カキ鍋より、カキフライがふさわしい。
しかし、これが「律」と呼べるかどうかは自信がない。
と、まあほんとに愚にもつかないことを書き並べてしまった。
締めくくりは、読了記念に作ったことない自由律の句に挑戦。
「布マスク2枚待つ気あるの」
(せきしろ 又吉直樹 幻冬舎文庫)
『まさかジープで来るとは』
(せきしろ 又吉直樹 幻冬舎文庫)
の続きで…。
人気番組らしい『プレバド』が日曜昼に週遅れで放送されている。
先日はレギュラー出演者の梅沢富美男が、俳句作りで「永世名人」に昇格する場面を、たまたま観ていた。
講師である夏井いつきが、ランクアップの訳をこういう賛辞で表した。
「季語を信じる力がある」
それが俳句をつくるうえでの最大ポイントでもあるかのように、力強い言葉だった。
そうかあ…句作など年に一度、二度しかやらないが、今さらながら自分にはない力だと痛感する。
だから…自由律でやってみたらどうだ!
と、そんな単純なものではないだろう。
そんなことが頭をよぎりつつ読む。
『まさかジープで来るとは』の解説で、俵万智は「(自由律とは)ただの『自由』ではなく『自由』でありつつそこに『律』がないとダメなのだ」と断言する。
「律」とはそもそも「秩序、きまり」である。
「自由」と相反する語との組み合わせであり、考えようによってはこれほど難しいものはない。
で、『カキフライ』の句である。
そこに「律」があるのか、という問いを立ててみよう。

無理矢理この句を俳句?風に仕立てたら
「カキフライ 無いなら来ない 冬の宴(えん)」となろうか。
これではしょぼい姿はイメージできるが、それほどのインパクトは感じられない。残念、つまらないという感情は見えてもエネルギッシュさが伝わらない。
それは定型でまとまっているからだとも、あまりに陳腐な下句をつけたからだとも考えられる。
それに比べると「カキフライが無いなら来なかった」という潔さは、そこに憤まんやるかたない姿が見えて、印象的だ。
カキフライにかぶりつきたかった話者の現状が垣間見える。
使った語の流れに、若干の音韻的な要素も混じっている。
だからエビフライより、カキ鍋より、カキフライがふさわしい。
しかし、これが「律」と呼べるかどうかは自信がない。
と、まあほんとに愚にもつかないことを書き並べてしまった。
締めくくりは、読了記念に作ったことない自由律の句に挑戦。
「布マスク2枚待つ気あるの」