すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

利己主義を進める頭のクリアさ

2020年05月14日 | 読書
 先日、書棚の整理をしていたら雑ファイルから1枚の紙が出てきた。「真の利己主義のすすめ」と題された随想で、著名な動物学者の本川達雄氏の文章だった。10年以上前の冊子からコピーされていた。一読して「これは」と判断したのだろう。今読んでも、いや今になったからこそ、余計頷き具合が深くなる内容だった。



 氏は「老いた動物は野生では見られません。ちょっとでも目がかすみ脚力が衰えれば野獣の餌食になりますし、体力が衰えれば病原菌の餌食になってしまうものです」と記す。80年の平均寿命を持つ人間の特殊性を支えるのは人類の叡智、技術だが「莫大な金とエネルギー」が必要であり、それは次の世代を圧迫する。


 高齢者の医療と福祉が財政を圧迫しているのは、いわゆる「生殖活動卒業者」の「利己的なふるまい」だという。一方で、氏は利己の「己」(私)について生物学的な見地から「子どもは私です。私の遺伝子が子どもに伝わり、孫に伝わりと、そういう形で『私』がずっと続いていくのが生物というものです」と語る。


 従って、真の利己主義とは「子や孫を含めての利己主義」を指しており、そうした価値観や行動観を奨めておられる。「次世代の『私』」が住みにくくなる振舞いを慎むことは、大きなスタンスで考える点も念頭に置きながら、やはり身近な拠点で特にそうありたい。さらに「次世代の『私』」のため貢献できればと思う。


 氏は最後に「次世代の私、とせずに広く次世代」とより広い貢献を考えている。自分もと見習えば、かろうじて技術があるのは教育という分野しかない。大きな変化のうねりがある昨今、もはやその役回りは「教育の不易」を守るくらいだろう。ただそれが単なる懐古主義に陥らないような、頭のクリアさが求められる。