すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

こんなに文庫本が誘ってくるとは

2020年05月27日 | 読書
 『カキフライが無いなら来なかった』
  (せきしろ 又吉直樹  幻冬舎文庫)

 『まさかジープで来るとは』
  (せきしろ 又吉直樹  幻冬舎文庫)


 ここ数日、この2冊が風呂場読書のお相手だった。
 自由律俳句とエッセイと写真による構成。
 エッセイはなかなか達者だなという気がした。いずれも短いけれど、その世界にひき込まれる文章も多い。



 世界観が似ている二人なので、俳句は名前が記されていないと明確にはどちらの作品が判別しにくいかもしれない。
 ただ2冊読了すると、うっすらと滲み出てくる気配もある。
 『まさか~』で解説している俵万智によると、それは、せきしろの「とほほ」と又吉の「シュール」と区別されるらしい。
 ページの端を折っている箇所をみると、個人的にはどうやらせきしろの方が共感できる度合いが近いかな。

 『カキフライ~』の解説が、金原瑞人で少しびっくり。
 お気に入りの絵本『リンドバーグ』の訳者である。金原はこの本を「ひとつの文学的事件だと思う」と評し、このように書いている。

 なにしろ、日常の断片のような、俳句と短い散文と写真を使いながら、これだけ読者の自主的・積極的な参加を要求するのだから。


 又吉の句に一つ参加してみると…

 「転んだ彼女を見て少し嫌いになる」

 この湧き出た感情「嫌い」はどこに向けられているのか。
 状況からすれば、対象は「彼女」とみるのが自然だ。
 しかし、話者は冷静であることが「少し」でわかる。
 その意味で、直截的に書いているようでかなり俯瞰的だ。

 さらに、いつ、どうして嫌いが湧き起ったか。
 転ぶ瞬間か、転んだ後か、転び方か、転ぶときの表情か、転ぶ以前の状況設定か。
 そうなると、もしかしたらと視点を変えれば、嫌いの対象が自分になる。
 一つは一緒に居た自分に、何らかの責任があった場合。
 もう一つは、自分がとった行動や湧き出た感情を見つめた場合。

 …とこんなに深読みをする必要も義理もないけれど、読んでいると、想像以上に「」を設定したくなるように誘ってくる。

 そもそも『カキフライが無いなら来なかった』という書名にしても、なぜカキフライかを想像、分析してみることから始めると、なかなか興味深いではないか。

 以下明日へ。