すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

日常的平穏が育てる文化

2010年05月05日 | 読書
 『すぐそこにある希望』(村上龍著 幻冬舎文庫)
 
 この本に出てくる、いやあまり多いとは言えないが自分が読んだ村上龍の書くエッセイには、何度も「大手既成メディア」という言葉が登場する。むろん、批判的なニュアンスを持って書かれることが圧倒的である。

 経済や外交、安全保障に関して書かれる頻度が高いが、知識としては納得できても正直今一つぴんとこない面もあった。
 そうした読者である自分にとっては、今回の本はいくつかのキーワードを与えてくれた。

 国内標準 

 報道の優先順位が持つ傾向、例えばこの連休中にどんなことが大きく取り上げられていたかを振り返ってみれば、それは明らかになる。
 高速道路の渋滞、ゴールデンウィークに全く重なった東北地方の桜…ということになろうか。
 それは年中行事のようでもあるが、ある意味で次のことをあらわしている。

 日常的平穏 

 村上は、そうしたメディアのあり方を批判する。
 明るく平和な話題の提供が必要とされていた時代ではなくなったと言う。
 国際感覚、時代感覚の欠如した報道が流通し定着されたことによって、そうした文脈が出来上がってしまい、脱け出せなくなっている。

 いくらネットが発達しても、結局のところ閉鎖的なままで日々の言動が続いていくというのか。
 そうした共同体の中でしか起こらないと、村上が提示した三つの言葉を見て、正直ギクッとした。

 趣味全盛  洗練化  なぞること
 

動的平衡という生き方

2010年05月03日 | 読書
 知ったかぶりをして「動的平衡」という言葉を職場で話したのは去年の4月年度初めだった。
 毎年職員が替わる学校という場にあってもそういう働きがあるのではないかと、思いつきのように語っただけだったが、結構その言葉の意味するイメージは心の中に残ったままだった。

 『動的平衡~生命はなぜそこに宿るのか』(福岡伸一著 木楽舎)という単行本があることは知らなかった。書店で見つけてすぐ購入した。
 科学モノは不得手なのだが、結構面白く読めた。特に4章(全8章)あたりまでの脳や食品のことなどは実に興味深く、大学の講堂で楽しい講義を受けている感覚のようだった。

 「時間どろぼうの正体」として記されたことはなるほどであった。
 年齢が増すにつれて一年の重みが相対的に小さくなるので一年が短く感じられる、といった説を私自身もなるほどと思うことがあったが、著者は体内時計との関係でその理由を語ってみせた。

 「人間は考える管である」とは言いえて妙である。
 脳がすべてをコントロールしていることは実証されたものではないそうである。
 言葉的な興味でもあるが、ガッツという英語がガッド(消化管)の複数形だということがとても気になった。

 その他、ミトコンドリアのこと、豚の思考のこと…思わず人に語ってみたくなるような、しかも単なる雑学ではなく、生命の奥深さを感じさせるものに溢れている書物だった。

 自分があまり読まないジャンルだっただけに、実に栄養になったように感じる。

 さて「動的平衡」である。
 結局、自分は何かを入れ何かを出して生きているわけだが、食物に限らず、情報という点でもそれは同じであろう。
 毎日そんなことをしながら、生命を維持している。外見は変わらなくてもそこにナニモノかが消費、生産されていることなんだなあ、と思う。そのナニモノこそが価値なのだ。

渋く観られるドラマ

2010年05月02日 | 雑記帳
 ふだんは韓国ドラマなど観ることはないのだが、「IRISアイリス」ならば一度は観ておかねばなるまいと、先週放送の初回を観始めたが、つまらなくて途中で止めてしまった。
 昨日は第二話。今回は見逃してはいけないだろうとまた観たわけだが、やはりそんなに面白くはない。

 なぜ、このドラマにこだわるかというと…秋田県人の多くは知っていることだが(全国的な話題ではないだろう)、そのドラマの影響で韓国からの秋田への観光客が昨秋頃から増え始めたことがある。ただ4月の飛行機の搭乗率はさほど伸びなかったので、もうブームとは言えないのかもしれないが、県のおエライさん方もそのことを口にするほど、盛り上がっている?わけだ。

 それでは一応、という気持ちで、主演の二人が秋田を訪れるシーンを見た(これが二話)。
 田沢湖のロケーションが中心のどうということのないシーンなのだが、やはりファンとなればそれなりに感じるところがあるのだろうなあ。
 それにしても外国人が描くいかにも日本風の小道具等(浮世絵ぽい絵、選ぶ着物の色や柄もどこか変)は笑える。

 しかし今回最もええっと驚いたのは、二人の乗った車(レンタカーということでしょう)が、おそらく軽自動車だったこと。黄系、ベージュだったろうか、それが冬の山道を登り、温泉に向かうのだが、トップスターの二人にそれが妙に合わないと感じたのは私だけなのだろうか。

 役どころも国家安全局に務めるという二人ですよ。二人の秘密裡の旅であっても、スポーツカーとかそれでなくとも少しグレード高めの車が普通ではないのだろうか。
 それとも韓国の人というのは、そういう所にお金をかけない主義が浸透しているのか、そうでなければあの設定はどうにも腑が落ちない。

 …などと考えていて、ふとこんな想像も働いた。

 つまり、国家の存亡を担うような仕事をしているグレードの高い二人ではあるけれど、本当に求める幸せは慎ましくあればいいのだ…その象徴としての軽自動車なのだよ。

 または、そんなグレードの高い二人なのだが、日本に行くとそんな二人に見合う車はあんまりありませんよ…その代表としての軽自動車ですよ。

 このドラマ、そんな想像を膨らませると、かなり渋く観られる。