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ツイッターで軽く宣言

2010年05月15日 | 雑記帳
 あるページを見ていたら、「ツイッタ―で○○宣言!」と書いていた。
 何だか違和感があるなあと思って「ツイッタ―で宣言」と検索すると、結構ヒットするではないか。某ソフトバンクの社長の御名前もあるではないか。
 
 そういう時代なのですね。

 ツイッタ―とは「つぶやき」だと思っていたし、そもそもtwitterは「さえずり」でしょう。
 心の中にふと浮かんだこととか、単なる思いつきとか、妄想?とかボロッと出すみたいな感じと思っているので、「宣言」とは同じ言語行為でも全く逆ではないか。

 それを結びつけるなんて、恐るべしツイッタ―の侵食力!
 また、宣言という言葉自体が軽くなった、というより一方的な行為は役に立たなくなった時代の流れということもあるのだと思う。

 確かにツイッタ―で研究者同士が議論していることや、ツイッタ―文学賞?なるものまで現れていることは承知していた。
 だから何も今さら「ツイッタ―で宣言」という言葉に驚くほどのものはないのだが、それでも驚いてしまうところが、もはや旧い感覚なのだろうな。

 こうした文章もその通りであって、実はツイッタ―で「ツイッターで宣言って、何かおかしくないか」とツイート!してみれば、誰か応えてくれるのかもしれない。

 そういう問いのたて方や考えの取り込み方、広げ方、深め方、そして応答を楽しめる感覚がないのだな、と改めて思う。
 だいたい携帯メールをやらない人がそんなこと出来ますかって…そしてこの程度の雑文、小文で自己完結してしまう…

 ああ、この中途半端な立ち位置よ。

 でも、結構それが楽しかったりする時もあるものだから。

 私はツイッタ―はやりません、今のところは。と軽く宣言してみる。