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中途半端な道の志向

2010年05月19日 | 雑記帳
 複式学級、複式指導をテーマにした研修会があった。

 講師のお一人は初任の頃に山間のへき地で複式学級を担任したという。そこでの思い出や実践を語りながら、複式であってもいろいろなことが出来る、そして子どもにも教師にもプラスになる要素がある、ということを力説した内容だった。

 もう二十年近い年月が過ぎたが、私にも二年間の複式学級担任の経験がある。そこでの実践をいくつかまとめたことがあるが、そんなことも思い出しながら聴いた。

 具体的な指導法の話になったとき、自分が初めて受け持った頃に研修講座で聞いた、今でも耳に残っている二つの言葉を思い出した。

 「複式指導は、究極の間接指導法ですよ」
 
 これは教育センターの指導主事の言葉だった。つまり、子どもたちに指導すべきは学び方であり、自分たちで学習を進められるように仕向けなければならない、ということを意味している。

 もう一つの言葉は、自分でも担任経験があるベテランの校長先生の言葉のように記憶している。

 「半分の20分で片方の学年にとにかく一生懸命教え、もう20分で違う学年に懸命に教えるしかない」 

 言うなれば究極の直接指導だろうか。教師の短時間集中教授法を高めよ、ということだと思う。

 考え方としては正反対と言えるだろう。
 しかし現実的にはどちらも必要だ。
 どちらに軸足をおくかは、学年の組み合わせや人数、子どもの実態、さらにはその学校の歴史や環境にも左右されることだろう。
 
 今考えるとどちらも味わい深い言葉だ。
 前者は、間接指導の場が圧倒的に多いという現状を前向きに受けとめようという強さがある。
 後者の言葉を実現するためには、直接指導を受けていない学年が自分たちの課題に没頭している必要があるし、それはまさしくシステム作り抜きには考えられない。
 半分しか直接手をかけられないという限定の中で、指導言の質、教材の有効性などが吟味されていく。

 さて、自分はどうだったか。
 なんだかどちらも中途半端だった気がする。
 いや、その中途半端な道を志向していたのだろうかと漠然と考える。