すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

笑いをとるための準備

2010年05月23日 | 読書
 ダジャレなら自信はある。
 あたりかまわず撒き散らしているわけではないが、おやじギャグ選手権があったら(あるかもしれないなあと思いつつ)地方予選突破ぐらいはいけるだろう。

 と、何もならない自慢を書いているわけだが、それがユーモアとかジョークとかになるとちょっとハードルが高いなあ、というのが正直な気持ち。
 そんな劣等感もあってか、最近は小噺などにも手を染めようとしている。しかしそんなにすぐに上手になるわけではない。

 それでこの差は何かと少し真面目に考えると、「想像力」ということに尽きると思う。
 ダジャレは、言葉同士の連想、共通点などを探れば出てくるが、ユーモア・ジョークと呼ばれるものは、言葉だけでなく内容に踏み込んでイメージできるものを指す。
 従って言葉の知識はさることながら、幅広く常識をとらえながら、人があまりしない見方で語ることが求められる。視点の拡大、変換というあたりがポイントだ。

 この前読んだ『瞬間・交笑術』(G.B)は「大人を笑わせる23の法則」と副題がつけられていた。
 単純なダジャレなどもあったが、それ以上にどこかひとひねり、ふたひねりしている要素がいっぱい詰まっている。

 法則化するには当然分析的な見方や意味づけも必要になるわけで、そうした箇所は興味深かった。心に残るフレーズを羅列してみる。

 「状況の高低差」のことを「オチ」と呼びます

 前もってハードルの高さを再設定する行為は、平静ならば楽しめる内容を無力化してしまう副作用を持っているのです

 言葉自体が擬音に近づいてきている(中略)ひょっとして人間は擬音だけで会話できるのではないか
 
 道具としての言葉をどんなふうに使い回すか、笑いをとろうとしたときの準備や練習はかなり高度な言語活動といえる。
 

 「で、オチは?」と問われたら、こんなダジャレで返します。

 「まあまあ、オチツイテ…」