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ガラパゴス化を良しとしない

2010年05月07日 | 雑記帳
 一昨日書いた村上龍の言葉は、結局「閉じていることによって開花する」という意味だなと考えていて、それは江戸時代の鎖国がもたらした華やかな文化にも通ずるなとすぐ連想が働いた。
 村上のエッセイは5,6年前に書かれたものだが、最近IT関連でよく登場する「ガラケー」(ガラパゴス携帯)もまさしくそれだなと感じた。
 
 雑誌で見かけた文章が面白かった。 
 携帯電話市場に限らずそういうように「日本独自の進化を遂げている(ただし世界から見るとマイナー)」な現象は、情報通信機器関連だけでなく、他のサービスなどにも見られるということで、これを「ガラパゴス化」と称しているらしい。

 結局、どんなに情報が押し寄せようとそれを受けとめるだけでは、情報に対して閉じているとしか言えず、向き合って発信していくという姿勢が必要なのではないかと思う。

 世界での競争力うんぬんは私には荷が重いが、そういう原則は日常の仕事や身の周りの暮らし方にもあるのだと思う。
 趣味的にどんどんと洗練させていく何かを私たちは常に抱えていそうだ。それは膨れ上がった情報社会への一つの身の処し方ではあるが、正対とは言い難い。その構えを続けているちに、どうにも抜き差しならなくなるのだはなかろうか。
 ガラパゴスに価値がないわけではないが、ガラパゴスと称されることを良しと引き受けていいものか。

 ずいぶんと抽象的な言い回しをしているが、私自身の中に具体的ないくつかの対象がある。
 それは仕事上のことでいえば、例えば授業研究であり、学級経営であったりする。