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やさしさの漢字は奥行きで決まる

2010年05月28日 | 読書
 小学校であれば、教育目標に取り上げやすい言葉として「やさしさ」「かしこさ」あたりが筆頭と言えるのではないだろうか。

 「やさしさ」「やさしく」はありふれた言葉だが、他の人を思いやる心を表す字句としては、簡潔であり明確でもあると思う。だからこそたくさんの学校で使われている、そして教室の中でも何か問題の起こる度?に、飛び交っている、ということだろう。
 
 さて、改めて「やさしさ」という言葉の意味を考えてみるとなかなか面白いもんだなと気づかされた。
 これも『「甘え」さまざま』という本に書いてあったことをもとに考えたのだが、「やさしさ」には「優しさ」と「易しさ」があり、その二つは比較させながら考えると興味深い。
 
 「あの人はやさしい」と取り立てて言う場合、それは発見した意味合いが強い。
 もちろん、ずっと感じてきたことを強調して伝える場合もあるだろう。
 しかし、今までの見聞や外見、表情から察し得なかったこととして、言葉で表現される方が多いと言えるのではないか。
 そう考えると、著者のこの言葉に納得がいく。

 前以てわかっているやさしさは容易に近い。
 
 そうかあ、ふだんから優しいと思われている人は、実は易しいだけなのなあ。何でも頼めば助けてくれる、親切な声をかけてくれそうだ、あの人はやさしいだけなんだあ……などとあまり人前では口に出せないつぶやきが浮かんでくる。

 つまり、易しさには奥行きがなく、優しさには奥行きがある。もっと言えば、優しさは奥に潜んでいる場合が多く、それを絶えずひっぱり出せる人は易しいと勘違いされることがある。
 しかし表面も奥底も優しいという人も結構いたりするんですな、と思いつつ、やさしさの漢字は奥行きで決まると結論づけてみる。