すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

日常的平穏が育てる文化

2010年05月05日 | 読書
 『すぐそこにある希望』(村上龍著 幻冬舎文庫)
 
 この本に出てくる、いやあまり多いとは言えないが自分が読んだ村上龍の書くエッセイには、何度も「大手既成メディア」という言葉が登場する。むろん、批判的なニュアンスを持って書かれることが圧倒的である。

 経済や外交、安全保障に関して書かれる頻度が高いが、知識としては納得できても正直今一つぴんとこない面もあった。
 そうした読者である自分にとっては、今回の本はいくつかのキーワードを与えてくれた。

 国内標準 

 報道の優先順位が持つ傾向、例えばこの連休中にどんなことが大きく取り上げられていたかを振り返ってみれば、それは明らかになる。
 高速道路の渋滞、ゴールデンウィークに全く重なった東北地方の桜…ということになろうか。
 それは年中行事のようでもあるが、ある意味で次のことをあらわしている。

 日常的平穏 

 村上は、そうしたメディアのあり方を批判する。
 明るく平和な話題の提供が必要とされていた時代ではなくなったと言う。
 国際感覚、時代感覚の欠如した報道が流通し定着されたことによって、そうした文脈が出来上がってしまい、脱け出せなくなっている。

 いくらネットが発達しても、結局のところ閉鎖的なままで日々の言動が続いていくというのか。
 そうした共同体の中でしか起こらないと、村上が提示した三つの言葉を見て、正直ギクッとした。

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