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物語的理解への道

2010年05月09日 | 雑記帳
 最近読んだ雑誌記事の中で興味を惹かれた言葉がある。

 科学的理解と物語的理解

 ビジネスシーンにおける経営の現実の理解ということで提示されているのだが、この考え方は授業研究の視点としても十分有効ではないかと感じた。
 筆者が両者の特徴として挙げている5つの項目を記してみる。

(1)事後の理解と事前の理解
(2)外部者の立場に立った理解と当事者の立場に立った理解
(3)直線的理解と曲線的理解
(4)必然の論理と偶有の論理(「他の道、あるいは他の現実がありえたかも……」)
(5)抽象化・標準化と想像力・共感性
 
 授業研究として主流なのは前者、つまり科学的理解ということになろう。それは当然であり、それなしに協議が成立したらそれもおかしいだろう。
 しかし、科学的理解だけでは授業の全体像をとらえられないという場面がないだろうか。
 「こうしたらああなった」「こうするためにそれを取り上げた」「こう言ったのでそう対応した」という事実をなぞり分析しただけでは、授業の深いところまでとらえることはできないのではないか、ということだ。

 おそらくは、科学的理解の細分化、多様化のはてに物語的理解があると予想するが、視点としては全く別方向であり、その必要性を意識できているだろうか、と自問してみる。

 授業研究会の参加者は科学的理解を求めてそこに臨むが、それが連続し自分に定着するにはおそらく物語的な理解へ転化させていくことが必要だろう。
 当事者として、事前の理解を大事にしながら、授業の成功も失敗も振り返りながら、微細な反応を思い起こしていく作業である。その連続である。おそらく曲線的な歩みだろう。

 そのための方法は出尽くしている感がある。
 いかに取り上げ、組みあわせるかだ。