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あれがボクらの時代

2010年05月26日 | 雑記帳
 日曜日の朝7時からフジテレビ系で放送している「ボクらの時代」という番組を観ることが多い。
 http://www.fujitv.co.jp/b_hp/jidai/index.html#cast
 先週の組み合わせは、大橋巨泉・前田武彦・小沢昭一という三人で、「ゲバゲバ世代」?としては愛着のわく設定である。
 といっても話は、それ以前のテレビ・ラジオ黎明期のことのようで、どこか昔話のような雰囲気にはなっていた。

 一つ気になったことがあった。
 今の放送が「編集」に長けていることによって、本当の芸(能)人が生まれにくい状況が生じているという。もっともなことだ。
 生放送でしかやられなかった時代では、その場での正確さやパフォーマンスが全てであり、個々に委ねられる部分が大きい。結果、それをこなしていくには本物の話芸などが必要であることは言うまでもない。

 で今はどうかというと、ほとんど関係がなく、話題性のある人を出し、必要な箇所をウケルようにつなげていけば、それで番組が成立するような流れになっているのだろう。
 それでは表現する側の力がついてこないことは目に見えている。従ってそれを意識している者の多くはテレビを離れ、また別の場所で力をつけているということになるかもしれない。
 
 お笑い出身の役者が非常に多いわけは(ほとんど人気に頼った起用であることを知りつつも)ステージで鍛えられているという感覚が何か有利に作用していることがあるのではないか、そんなことも考えた。

 もう一つふいに浮かんだのは、学級通信などの手書きとワープロ書きの違いという古典的な話題。生放送と編集放送の違いと似通ったものを感じるのは私だけだろうか。

 手書きの時、書きたいことは決まっていてもあまり構想がないままにスタートし、なんとか終わりに辻褄を合せてきたように思う。
 今も結構好きに書いているが、編集できるという気楽さがあることによって、少し切実感に欠けたような文章になっているのかもしれない。

 もうワープロ書きに変更してから20年以上が経ってしまった。
 あれがボクらの時代だったか。今がそうなのか。