すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

仕事始めの日に

2012年01月05日 | 雑記帳
 昨日は仕事始め。
 記録をみたら、昨年は風邪をひいてしまって自宅に籠りビデオ三昧の生活だったが、今年はどうやら通常のスタートをきることができた。

 出勤して、いくつかの提出物の処理、確認をした。教委へ報告する書類も一つ仕上げた。
 10時頃、ミニバスの全県大会へ子どもたちが出発するので見送り。午後からの試合に応援しに行く予定だったが、都合により行けなくなり残念である。

 冬休みの最終日にミニ研修を行うので、その準備に入る。
 今年度は初日にこういう機会を設定してもらい、学期のポイント、というより心構え的なことになるのだが、30分ほどずつ話すようにしている。
 三学期であるので「締めくくり」となる。研究の副題とした「学習形態の工夫」について振り返りながら、それを「言語活動の充実」と結びつけて考えてみることで、それぞれの授業づくりに生かしてほしいと考えている。

 昼からは少し休みをもらって、知り合いの葬儀へ。
 昨年末に長い闘病生活を終えた方である。
 若い頃、ご夫妻からお世話になったし、自分もいろいろな意味で「青春」だったことを思い出した。四人の僧侶の方が並ぶなかで、お一人が読経を終えて「Yさん」と呼びかけられたことが印象的だった。

 2時半頃に学校にもどる。
 バスケの試合が始まり、電話で連絡が入る。前半は2点リードとのこと。いいぞ、このまま明日に残ってくれ…。
 試合終了の電話が学校へ入る。なんと1ゴール差の逆転負けという。がっくり…担任や担当者からも連絡をもらったが、子どもたちの頑張りを讃えている。勝負の世界はいつも厳しい。

 気を取り直して、先ほどの研修構想の続き。一応のプロットだけは決めた。
 その後、改めて三学期の見通しについて考える。いくつか具体的なことは見えているが、もう一つ締まった感がなく少し迷う。きっと何か新しいことをしたいという気持ちがあるのだろう。もう少し考えを整理してみたい。

 12月に買ったままだった『総合教育技術1月号』に目を通す。特集は「『最高の授業』のつくり方」とあって、有田・野口の二名人、全国の注目実践、そして塾・予備校の人気講師の授業というラインナップである。
 今までなら何気なく読み通すが、ちょっとした引っ掛かりを覚えて、学校も塾も同列のような扱いになっていくのだろうか、と考える。
 それは一昨日から読んでいる『教育の常識・非常識』(安彦忠彦著)から刺激を得たからだろう。学校の役割ということを再考していく年になっていくかもしれない。

 5時退勤。行きつけの書店によって文庫本3冊、雑誌2冊を購入。
 ああ、教育書がない。しかし、本当に久しぶりに手にした重松清の文庫本が『せんせい。』なので、許してネ。(誰に言っているのか)。
 

そして気がつけば、四度目の…

2012年01月03日 | 読書
 買ってはいたが広げずじまいの本を読むことから、新年読書は始まった。

 『14歳の君へ』(池田晶子 毎日新聞社)

 半分が「毎日中学生新聞」に連載された文章だという。彼女の死のわずか三ヶ月前の発刊だった。
 中学生向けの文章とはされているが、さすがに十分読み応えがある。

 例えば「個性」という章だ。

 「自ら」ということと「自ずから」ということは違うことだ。(中略)君は、自ずから、そうなる人になればいい。自らなろうとなんかしなくていい。そしたら、君は、必ず個性的な人になる。

 かつて流行った「自分探し」という言葉のくだらなさや、個性伸長の押し付けを見事に暴きだしてみせる。

 例えば「言葉」という章だ。

 人間が言葉を支配しているのではなく、言葉が人間を支配しているということだ。

 言葉を知るにつれて人間が陥りやすく、実は本質的に問いかけ続けなければならない言葉の道具観について鋭い警告をしている。

 「自然」の章で語られていることは、昨年の震災に向き合う私たち人間を黙らせてしまうほどの力がある。

 このところ世界中で、地震や津波や台風の自然災害が相次いでいる。時々襲ってくるあれらによって、人間は、自然は人間の意志を超えているということを思い出すことになる。(中略)あれらの自然の出来事と共に生きて、そして死ぬことが、本当に「自然と生きる」「自然に生きる」ということではないだろうか。

 「友愛」から始まって、「人生」までの16章。平易な言葉で書かれているように見えて、その論理や想像はていねいに読み込まないと、今の子どもたちには呑み込むに難しいかもしれない。

 そこに付き合えるだけの「学力」を14歳までには身につけさせたいものだと、素直に思う。
 そのなかみは、相応の言語の知識と他者の考えにまともに向き合おうとする心と言っていいだろう。
 責任の一端いや多くの部分は、学校教員がもつという自覚が必要だ。

 「あとがき」は「保護者ならびに先生方へ」と記されていて、こんな言葉で結ばれている。

 受験の役には立ちませんが、人生の役には必ず立ちます。
 皆様への信頼とともに。


 私には、この著をもとに指導はできないかもしれないが、自分の凝り固まった頭と体を刺激するには十分役立った書だった。

 そして気がつけば、四度目の14歳になる年。
 齢相応でない読書なのかもしれないが、裏返せばこんなふうに学べるということで、ある意味幸せな人間ということですナ。

ぜんしん2012

2012年01月02日 | 雑記帳
 昨年から始めた家族揃っての元旦書初めに選んだ一文字は「喜」。

 「祈」「祝」など他にも候補はあった。そういう心構えも大切だなあと思いつつ、「喜」に決めたのはある感覚だった。

 数日前に本当に何気なく、ある辞典をめくっていてそこに書かれていたある言葉群を読んでいたら、何か普通と違う感覚が湧いてきた。
 源は懐かしさなのかもしれないが、そのとき何故か「ああ体が喜んでいるなあ」と思った。

 こんな感覚をたくさん持てる一年にしたい。

 もちろんそれは読書以上に、様々な行動に関わることでめぐり会えるのだと思っている。
 計画立てはまだだけれども、独りよがりにならず、人の喜び、世の喜びを自分も喜べるように歩んでいきたいものだ。

 年末に投函した年賀状に「ぜんしん2012」と書いた。その下に添えた駄句。

 からだすべてに
  よきこころこめ
   すこしすすもう
    まえへすすもう


 ちょっと立ち止まっていただければわかるように、四つの熟語に重ねた「ぜんしん」である。

 全身、善心、漸進そして前進

 今年もささやかに綴っていきます。
 よろしかったら、お立ち寄りください。