すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

二つの「力」を振り返る

2012年08月20日 | 雑記帳
 10日の山中伸之先生の講座をふりかえって,印象に残る二つの「力」がある。

 一つはその著書の中でも取り上げられていた。

 予見聴力

 山中先生が独自に名付けられた,何が語られるかを待ち構えて,観点などを事前に持って聴く力のことである。
 これを講座の中で業者テストの「聞くテスト」を例に語られた。
 講座のときに質問してみたかったことがあった。
 この予見聴力は,よくある例として「帰りの会における明日の連絡(連絡帳にメモさせる)」といった場合のことも含まれると思う。では,他にどんな場合があるのだろうか,ということである。

 著書の中で書かれてあるのは,取り立てて指導として「事件や出来事,ニュースの聴き方」について,いわゆる5W1H+結果をポイントとして挙げ,メモをとらせていく例が書かれている。また「説明・論説の聴き方」「物語・体験談の聴き方」も示されている。
 メモの取り方と連動させて,時間設定しながら扱い,日常指導と絡めるということだろう。

 その「絡め」を具体的に想像してみると,児童の輪番スピーチの場,集会での先生の話程度しか思い浮かばない。
 もちろん教科学習の場でも十分意識的にできるはずであり,これはきっと教師や子供の「話し方」に大きく関わり合ってくるだろう。

 いずれにしても予見聴力とは,姿勢,頷きなどの外的な構えに対して,内的構えという見方もできる。
 著書では「心の構え」というように意欲・関心的な面が強調されるが,何を聴きとるべきかという準備を習慣づけするという意味では,予見聴力という考え方は非常に重要だと思う。


 感受力

 講座でこう示された力がある。
 一般的には「感受性」という言い方が流布しているが,そこに違いがあることは確かだろう。
 著書において「話の内容や価値を感受する資質や能力」ということを「感受力」とキーワード化したと思われる。

 感性…感受性…感受力…こう並べてみると,ある程度限定された範囲で,鍛えられるべき要素が強いというイメージを持つ。
 では,その感受力を鍛えるためには,何が必要か。

 価値ある話

 これは間違いないだろう。
 では,その「価値」を決めるのは…当然ながら,聴き手なのである。つまり,価値があったかどうかは表現させてみなければわからない。
 どんなに深く心に沁み入る話であったとしても,何かしらの表現によってのみ,感受力は認められる。

 多くの場合,それは言語ということになる。
 そうすれば,「構え」や「聴く技術」を鍛えながら,聴いて受け取ったことを表現した言葉(心のあり方)を誉めていくという地道な方法しか,手はないように思うのである。
 それは,子どもをいかに認めるか,ということと同じである。

 こう考えていくと,二つの力は,実に細かな場面の中で積み重ねられている。

勝負を意識できる教師

2012年08月19日 | 雑記帳
 放映日からひと月が過ぎ,今さらという感じではあるが,NHKプロフェショナル仕事の流儀で九州の菊池省三先生が取り上げられた回を観た。
 http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0716/index.html

 私の記憶だと,この番組で取り上げられた学校教育関係者は中学校教諭が二人いたような…小学校はおそらく初めてではなかったか。

 直接の面識はないが,菊池先生は「コミュニケーション教育」(これも大がかりな言葉だが)で著名な方である。
 しかし番組の取り上げ方は「学級崩壊の立て直し」という形容であり,もちろん事実には違いないにしても,その辺りはマスメディアらしいと感じた。

 小学校に勤める者の目から見れば,画面に映し出された教師の動きはごくごく一部であることは明らかである。
 映し出されない場でどんなことが行われているのか,それをどれだけ想像できるか,これも教師の資質と言えるのではないか。

 ともあれ,取り上げられたなかでまず目をひかれたのは,「成長ノート」である。
 今風に言えば,この言語活動がまさしく成長を支えている面が大きいと思う。毎日子どもに綴らせている人は多いだろうが,そこにどの程度関わり,認めるという行為を続けていけるか。
 「休日に10時間かけて返事を書く」という姿勢はなかなか真似できないし,やはりそこから伝わるものの大きさを見る。

 番組後半は,運動会の応援団指導が主に構成されていた。六年生男子の意気込み,落胆,迷い,立ち直り…がコンパクトにまとめられた筋だった。この指導場面では,いわば「壁になる教師」が描かれる。

 日常の学校現場にもありがちな問題ではある。とはいえ今自信を持って「壁」になれる教師がどれだけいるだろうか,などということを考えさせられた。
 逃げ道を考える子どもを許してばかりいると,結局は狭い道でしか生きていくことができない。
 教師がそこに立ち塞がることは,以前ほど簡単にはできなくなってきているが,その意義は大きい。

 「未来をつかむ,勝負の教室」と名付けられた回である。

 なるほど,確かに教室は毎日勝負であふれている。
 それがどんな勝負なのか意識できている教師は強い。

努めるから務めるへ

2012年08月17日 | 読書
 野中信行先生に新刊のご著書を贈っていただいた。

 『必ずクラスを立て直す 教師の回復術!』(学陽書房)

 教師が覚悟を持って教室の子供たちを統率していく,そのあり方が遺漏なく示されている著書だと思った。

 ただ、仕事のスタイルのなかの「机の整理整頓に努める」という項目をみたとき、うっっと頭の中で唸った。
 以前より成長がある?とはいえ、私にはまさに不得意中の不得意。これはパスかななどと思いながら、この部分に少しひっかかりを覚える自分がいた。

 「努める」である。

 なぜだろうと問い返してみたら、こんな考えが浮かんだ。

 当然、野中先生は多くのことに「努め」ていらっしゃるのだが、実はその精神は「務める」ではないのか。

 たとえば「仕事の習慣」「システム思考」等のページに強く表れていると思うが、要するにどういうやり方で「教師という仕事を果たしていく」か,ということに尽きるのである。
 頑張ればそれでいいのではなく,気持ちをしっかり持って成し遂げること。
 頑張りすぎるのではなく,工夫して叶えることである。

 私たちの仕事の対象である「子ども」が変容している現在、その仕事のあり方が我流であったり、旧態依然としていたりでは通用しないことはもうわかりきっている。
 では、そんな子どもの実態に迎合する形に変えていけばいいのか。
 誰しもそんなことは思うまい。

 その実態、実情を汲み取りながら、どのように自分を変えていくべきかが、「関係づくり」「活動のスピード」「仕事のスタイル」「授業のスタイル」という四つの観点に示されている。
 それらは野中先生の長年のキャリアから導き出された、実に安定した、集約的な教えである。

 ただ、必須としてやり抜くべき点とアレンジを加えていい項目とに分かれていることに多少注意を払うべきだろう。
 第2章を例にすれば、「見える化」までの四つはかなり重要でありそのまま導入した方がいいし、それ以降はアレンジも有効と思える。

 いずれにしても自分なりには,芯を持つこと、多面的にみること、引きずらないこと…この三つを今回の著書のキーワードとしたい。


 きっと多くの教室で取り入れられていくだろう、そしてそのことに大きな期待を寄せるが、同時に確かめてほしいと思うこともある。

 目の前の子どもにどんな姿を期待しているのか、どんな言動をイメージしているのか・・・ 
 「術」と名のつく著書の前には、必ず自問しなければならない。

 野中先生の以前の著書からもその点について学べるし,多くの人の考えにふれ,反芻しながら自分で整理してみることは必要だ。
 子どもたちの登校まであと10日である。

野球から派生する筋を

2012年08月16日 | 読書
 夏季休暇最後の日,午前に文庫本を一冊,教育書を一冊読む。
 昼食は久々にそばの老舗に出かけ,その後からはビデオ三昧。いい一日だった。

 とりあえず,文庫本の感想メモを。

 『あるキング』(伊坂幸太郎 徳間文庫)

 単行本が出たときにペラペラと見たので,野球に関する話であったことは知っていた。
 仙台在住だから楽天がモデルになるのかな,キングだから「王」そのものか「○○王」などが関係するだろうか…そんな勝手な想像は持っていた題名だ。

 ようやく文庫化だが,徳間文庫ってなかなか渋くないですか?初めてのはずでしょう。
 それはともかく,本の帯にこんなふうに惹句が書かれている。

 今までの伊坂作品とはひと味違う

 朝風呂から読み始めて一気に読了。
 確かにひと味違う感じはするが,「やはり伊坂」ということもファンであれば見つけるだろう。
 受け止め方は様々だが,私なりのポイントは二つ。

 一つはやはりキャラが立つ。個性的な登場人物たちである。
 つまり,ほとんどが曲者であることだ。
 平凡な人物と見せておいて,その心の深層を描くのが巧みなのでそう思うのだろう。

 もう一つは,引用の巧みさ。
 今回は圧倒的に『マクベス』である。自分が読み込んでいればもっと楽しめるのだろうが,それでも演劇の台詞から引いてくるのはインパクトが強いし,十分読者を楽しませる。

 この小説は,何でも雑誌連載,単行本,文庫本とかなり手が入れられて,違ったバージョンになっているらしい。そこまで手を広げ検討する意欲はないが,著者自身も楽しんでいることが想像できる。

 さて,肝心の野球だが,実際の試合場面などはほとんどなく,少なくともスポーツ小説とは呼べない。
 野球というメジャーなスポーツを巡る様々な人間の交錯するドラマということだろうが,他のスポーツで代替できたかというとそうでもない気がする。

 オリンピック種目でなくとも,この国では野球に集う人たちの熱はやはりまだまだ大きいと思わざるを得ない。この小説からそんなことを考えた。

 地元の中学が全県大会制覇し,東北大会を経て,全国大会出場を決めている。
 http://www.zenchu-baseball2012gunma.com/team/tohoku3.htm
 そして甲子園では,秋田商業が初戦を勝ち抜き三回戦に駒を進めた。
 http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/p-bb-tp3-20120816-1001403.html

 結局,過疎県,過疎地域の宣伝?鼓舞?になってしまったが,野球から派生する筋の多様さや強さはかなりなものだということか。

こんなふうに言いたかったんだ

2012年08月15日 | 雑記帳
 昨日,三十年前に受け持った子たちの厄払いの会に招かれ,気づいたことがあった。

 九年前のその会に参加してなかった子(そう呼ぶのも変だか)も何人か出席していて,なかなか顔だけからはぱっと名前が浮かばなかった。
 もちろん名乗ってすぐに「あああ」ということになるのだが,ずいぶんと変化しているのが当然で,ぴんとこない子もいる。

 ところが話し始めてみると,「おっ,この表情は…」とかつて一緒に時を過ごした子どもであることが,ぐうんと大きくよみがえる気がする。

 その目つきや口の動かし方,笑い方,うなずき方…。
 何かを表現するとき,その人そのものが現れるといった当然といえば当然のことを今更ながら感じた。

 受け持った学級の子であれば,おそらく今でも筆跡を見れば全員を言い当てられるほど,毎日毎日「書かせた」学級である。それを愚直に見続けた二年間だった。

 今となっては遠く感じる自実践だが,そのことを懐かしく語り,自分の子育てや今の勉強の仕方について意見を聞かせてくれた子もいて,嬉しかった。

 無意識であれ意図的であれ,表現すること,表現していくことが生そのものなんだなと思う。


 会の冒頭で簡単な挨拶を求められ,「変わること,変わらないこと」などと格好つけて言ってみたが,まとまらなかった。
 今,昨夜を振り返りながら言葉にしてみれば,こんなふうになる。

 きっと人は誰しも,変わらないものを抱えて変わり続ける存在なのだろう。
 その中身,その動き方が,人を形づくっていく。

 こんなふうに言いたかったんだ。

講座は何かをつないだと思う

2012年08月12日 | 雑記帳
 金曜日に恒例の一日講座を実施した。
 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/aea4fc0aa168d00df36fade0ab4102db

 午前の会員発表に続き,午後からの講師として青森から佐藤康子先生,そして栃木から山中伸之先生をお招きすることができた。
 予想通りの充実した研修会になったと思う。

 県内外から講師を招いてこうした講座を続ける意義はいくつかあるが,やはり著名な実践者,研究者の「生」のお話を聴く機会を提供することは,地域にある団体としての教育振興であるという点が大きい。
 その意味では今回も内容が良かっただけに,日程的な調整の難しいことがあって(管制の研究会があったこと,お盆近くになったことなど)いつもより参加者数が伸びなかったことは主催者として反省しなければならない。

 さて,それはともかく,お二人のお話や模擬授業にはやはり多くの学ぶべきことがあった。私は後半のトークの進行係となっていて,二人から話を聞きだす役目もあったので,以前読んだ本を再読して臨んだ。
 そこで改めて気づくことがある。

 講師の先生方は,限られた時間の中で話を組み立てていくわけだが,書籍に書かれたなかから何を取り上げていくかは,やはり注目する一点である。つまり,核は何かがそこで明確になる。一番「伝えたいこと」と言っていいだろう。

 さらに,書籍の中の言葉と異なる点(言い換えであったり,付加であったりするが)に気づくことがある。それは,修正,補正という面を持つ,実践上とても大切な点だと思う。考えてみると,単純には「伝わりにくいこと」であったのかもしれない。

 そんな観点でお二人のお話を思い起こし,メモを見つめてみることはいい振り返りになると思う。その作業も自らに課してみたい。

 いずれにせよ,対照的な印象を持ったお二人の講座から,私なりに導き出した共通のキーワードは,流行の言葉でもあるが「つなぐ」であった。

 山中先生の聴解力の提案から見えてきた,「段階をつなぐ」スパイラル的な指導の重要性。
 そして佐藤康子先生のエネルギッシュな模擬授業から明確に感じ取れた「発言をつなぐ,子どもをつなぐ」という授業の本質。


 参加者の多くに好意的な感想を寄せていただいた。
 それがエネルギーの一部となって教室の中で展開されることになれば嬉しい。

ホームを回顧し,思案す

2012年08月10日 | 雑記帳
 整理下手を自称している者としては,人目が気になる性格を利用してみることが有効と考えて,ホームページ作成を思い立ったのだった。
 『ホームページをオフィスに』という新書にも刺激を受けた。書き散らかしたものは結構あるし…と最初に取り掛かったのは,たぶん2001年だった。
 サークルが継続できなくなってきて,冊子も途切れ,自分自身の欲求を満たしたいこともあったろう。
 そのページをもとにしながら,地域のご婦人方に招かれ,学習会の講師などもしたことがあったなあと今思い出した。

 ブログというツールが出来た頃,またそこに飛びついてみた。
 「すぷりんぐ+α」と名付けて,今以上に身辺雑記を繰り返し書いていた。訪問者もずいぶん多かった。
 これだけじゃいかんなあと少し読書メモ風な別ブログを立ち上げたのが,現在のこれである。
 そしてプロバイダー変更を機に最初のブログを廃して,こちらに一本化した。
 結局は,内容もだんだん広がってしまったが…。

 それで,肝心の「本家」ホームページはどうなったかというと,プロバイダー変更はやはり難関で,ソフトも替えそっくり移すわけにもいかずに,今までは少ししか残さず,内容を大きく変えて新しい形式「すぷりんぐ next」として再スタートさせた。
 あれからもう4年が経ってしまった。

 今回の関門は,PC本体の買い替えだった。データ等の移行ソフトも買い,万全を期したつもりだが,そんなに簡単にはいかず,あれこれさわってもうまく接続せず結局一か月以上も放置されたままだった。
 夏休みになり,なんとか復旧できた。

 まず5月末以来更新していない「読書記録」を整理した。
 http://homepage3.nifty.com/spring21/hondana.html
 …そうかまだ70冊をクリアしていないか…残りの夏休みでどのくらいいけるだろうか…再読を,もうちょっとしっかりしてもいいかな…

 次に,前任校の校内報「声日記」をpdf化してアップすることにした(もうすぐ完成予定)。
 …3年で68号か。かなり少ない。でもその前の学校が50台なのでそう考えると,わずかに進歩か…そして今は,全然やってないぞ…

 表紙写真は気に入っているが,もうあまりに古びてしまったかな。思いきって替えるか…いや,それより散逸している実践や文章をまとめてもよくないか…

 こんなことをつらつらと考えていられるのは,やはりこのページがそこにあるからだと思う。

 「オフィス」と呼ぶにはあまりに粗末で,漫然とした体裁だが,「ホーム」「家」「部屋」程度となら呼んでもいいだろう。
 そこにはちっちゃな安らぎがある。

生き延びて,ほむほむ

2012年08月09日 | 読書
 『整形前夜』(講談社文庫 穂村弘)

 読み始めて何かの雑誌の連載だなとは気付いたが,内容からしてどうも一誌ではないだろうことが読み取れた。
 著者独特の「未来志向自虐感」(こんなネーミングをしていいのか)にあふれた文章が多いが,中にはさすが『短歌の友人』を書いた人だと思わされる,鋭い分析の項目もあり,ふむふむ(いやこれは「ほむほむ」か)と何度も得心させられた。

 特に「共感と驚異」と「言語感覚」と題された項目は,それぞれ「その3」まで続けられている。
 どちらも『本の雑誌』に連載されたもので読みごたえがあった。

 「共感と驚異」という二つのキーワードは,文学にあまり近くないと感じていた自分にとって実にわかりやすい提示となった。
 そして,今のオリンピックの様々なシーンをどう見るかにも通じる気がする。
 つまり,私たちは驚異のままをキャッチしているだろうか。誘導された共感に流されていないか。

 「言語感覚」は,今までにない感覚で「生きる」と「言葉」との関係を暴いてみせてくれた。
 別の頁で,ちょっと恥ずかしい中学時代の過去を語りながら「裏返しの宝石」探しを止めない著者のその眼に,親近感を持ってしまう人は少なくないだろう。
 生き延びるための言葉遣いに疑問を感じてしまう人だ。

 それは,いつもいつも「用」「役に立つ」「なくては困る」ことばかり考えて,周囲を見回し言葉を選ぶことに,疲れ切った顔が見えている自分でもある。

お供は文庫とカメラと

2012年08月08日 | 読書
 夏旅に文庫本三冊をバッグに入れたが,読了したのはこの一冊。

 『かばん屋の相続』(池井戸潤 文春文庫)

 名前は知っていたが初めて読む作家である。元銀行員というキャリアを生かした短編集らしい。
 それぞれが小気味よく展開して読ませる作品だった。
 金融に関する専門的な用語もあるにはあったが,なんとなくわかる程度に説明がつけられていた。
 ただ,頻繁に出てきて少し気にかかったのが「稟議書」という言葉。

 「リンギショ」と読むのかな,融資に関わる提案書のようなものだろうと思いながら読み進めた。
 それで何も支障はなかったし,後で辞書を引いてみて「稟議」自体が「文書で承認・決裁を求める」ということを確かめた。

 それにしても繰り返し出てくるこの用語は,いわば融資係を務める職員にとっては一つの大きな象徴なのだろうなと感じた。

 「熱のこもった稟議書」という表現も出てきている。
 いわば企業の将来を見定めた自分の判断が問われることだ。その意味では支援,応援という気持ちも込められるのかもしれない。
 もちろん現実には甘い人情論は通用しないだろうが,そんなロマンを包括する要素があるからこそ,小説が生まれるのではないか,という考えも浮かぶ。

 教育現場には「稟議」という形式はほとんどないだろうが,それはそれとしても見たいのは「熱」なんだよな,と暑い夏に考えた。
 

 夏旅スナップとして,三つほどアップした。

 題名をつければ「山」「道」「海」である。
 http://spring21.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-6e89.html

夏の小旅行記

2012年08月07日 | 雑記帳
 週末から休暇をいただいて,福島そして新潟へ出かけた。
 今夏はもう出かける予定もないので,書き留めておこうと思う。


 その一

 わずかばかりの復興支援の気持ちもあった。
 ある程度想像すればわかるはずだが,やはり現地にいって気づくことがある。
 例えば,地元紙は一面丸ごとを県内各地点等の放射線量情報を載せている。様々な施設の前に「今日の○○町の放射線量測定値」などという掲示がある。
 これが,何年も何十年も続いていく。
 その現実はやはり重いし,どう方向づけていくのか,舵取りは難しいなと考えた。


 その二

 とにかく暑い期間だった。
 二日目,喜多方市を訪れたが,炎天下のもと蔵めぐりをする気にもなれず,立ち寄ったのが市の美術館。
 小さいがなかなかいい構えの建物だった。
 ちょうど「池田満寿夫展」の初日にあたっていた。午前中だったからかあまり人はおらず,なんと取材をしていた新聞社から写真モデルに頼まれる。さりげなく観ている風景を…と言われてもなかなか難しいものだ。

 池田満寿夫の絵や彫刻に特に惹かれるわけではないが,書もあったりしてなかなか興味深かった。
 私の世代には,バイオリニスト佐藤陽子とのロマンスが印象深い。

 女は海 男は舟

 池田の名文句らしい。その書も自由奔放だった。


 その三

 新車のロングドライブがメインだったので,高速だけでなく気ままに様々な道路を。当然「道の駅」にも数多く立ち寄った。
 そうなると,様々な違いに気づく。
 駐車場ばかり広いが,ほとんど車が停まっておらず,なかもがらがらなので買い物レジに係りがいない所。
 道の駅と書いている割に異常に駐車スペースがなくて,路上駐車の多い所。
 これらはきっと無理やり「道の駅」と後から名付けたような施設と思った。

 接客も様々である。泊まったホテルもそうだが,つくづく,笑顔と言葉の重みを感ずる。
 そして駄目なところはどこまでも堕ちていくし,晴れやかなところはやはり幸せを感じさせてくれることによって,人を吸い寄せていく。