すぷりんぐぶろぐ

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どじを踏む,大切なとき

2012年10月04日 | 教育ノート
 今日は朝からどじを踏んだ。

 街頭指導を終えると集会までは15分しかない。
 昨日つくったパワーポイントを大型モニターにつなぎ、「秋」という漢字の話をして、今月もしっかり取り組もうと呼びかける予定だった。

 急いでモニターを体育館に移動させて、パソコンを立ち上げてみると大変なことに気がついた。
 昨日のデータはネット上の自分のディスクにあるのだった。

 集会が始まるまであと何分と訊くと「4分です」という声。
 パソコンを外して、無線でつながるところまで持っていき、PC本体に移そうとしたが、やはり時間的には無理のようだ。
 迷惑がかかると思い、モニター使用を断念した。

 話をするなかみはだいたい頭に入っているので、「ええいっ、ままよ」しかたないという気持ちでやり始める。


 暑かった9月のことに触れてから、「秋」という漢字について話すことを言う。

 「皆さんは「秋」という漢字が書けますか?」

 2年生以上は元気よく手が挙がる。

 「では、指で書いてみよう」

 と空書きをスピードに変化をつけて2回繰り返す。

 次に「禾」について訊く。
 高学年は「のぎへん」を当然知っている。
 「のぎへん」と復唱させたあと、その由来(稲などの作物が実っている様子からできた)について説明する。
 そのあと、「火」について、燃え上がる様子からできた漢字だが,ここでは「お日さま」を示していることを話した。

 「作物とお日さまで、『作物を太陽が乾かして収穫できるようになる』という意味になります」

 そして「あき」という季節を表す他に、「とき」という意味もあることを教え、それは実り、収穫できる大切な季節であるから、そういう「大切なとき(学研漢和大辞典)」なんだよ、とまとめた。

 「明日はマラソン大会、21日は学習発表会、そして毎日の学習…大切なときだから、今まで以上にしっかり取り組みましょう」

 やはり視覚的なものがないと、低学年にはきついかなと思いながらどうやら終えた。

 動作を入れたこと、復唱をさせたこと、さまざまな学年に目を配ってやれたことはまずまずながら、「視覚的要素」を用いないときの話し方を磨かなくてはと反省。そうなると自分の発音も気になってくる。
 フリップやPCに頼りがちな現状、それを作ってしまうと安心している傾向あり。

 「話す・聞く」をテーマに実践セミナーを行った翌日だ…大切なとき、大切なことを想う。

地味な道しかないと思い至る

2012年10月03日 | 読書
 「1981年3月初版刊」とあるので、もう30年以上前の著作である。

 『話せない子・話さない子の指導』(野口芳宏 明治図書)

 「話すこと・聞くこと」をテーマにした校内研修が予定されていたので、この機会に再読してみようと思った。

 前半の第三章「話す力の低い子ども」までは、主として「話すこと」の本質論と、子どもの理解、話せない要因が述べられているのだが、実にわかりやすく、整理されていて、納得がいった。
 これを図化したらこうなるのだろうか、図化してみたいという気持ちや意欲が浮かぶほど、明快な書物だった。

 まず「まえがき」には、「指導法」でなく「指導」にした書名の意図がこう記される。

 技術や方法というものは、所詮は目的、目標に従属するものに過ぎないのです。ですから、目的や目標を確かにとらえる努力をせずに、単に方法や技術だけを身につけたところで本物の教育にならないわけです。

 今も一貫して主張なされるその言葉は、まさに揺らがない本質、原点である。

 結局「話す・聞く」に関して、どんな目的・目標を持っているのかと自問し、ある一定の方向を言語化していない限り、非常に頼りないものになる。

 では、自分は持っているか。

 これは一つ、はっきりしていることがある。

 「言いたいことを言うのではなく、言うべきことを言う子どもを育てる」

 ずいぶん前に野口先生からお聴きした言葉だ。
 自己表現がもてはやされ、活発に発言する子が増えてはきているが、それが大事なことか、必要なことかの吟味なしに、ただ外言化されていいものだろうか。
 なんでも思いついたら喋るという行為は、仮に一時期限定的な目標のもとに推奨されたとしても、結局は深い思慮、洞察、内省等に基づいた言葉こそがより価値が高いものだ。

 そういう価値ある内容を、対象に向かって音声言語によって伝え、それを受けてかかわり合ったり、高め合ったりする言語行為が「話す・聞く」であろう。
 言ってみれば「読み書き」よりも、身近な「話す・聞く」を指導対象とする困難さは、その辺りにもある。

 心構えや態度と切り離せないことを承知しつつ、道具観という側面に重きをおいて、「質問」トレーニング的なことを提案してみた。
 しかし、技術を高めながら、真の意味での話す力・聞く力を身につけさせるには、その活動を通して教師の「話す・聞く」を十分に発揮し、そして子どもの良き所を誉め、直すべき所を指摘し、修正していくという誠に地味な道しかないと思い至るのである。

判断する習慣を萎ませない

2012年10月02日 | 雑記帳
 年度後半初日の月曜は、台風通過によって登校が2時間遅れとなった。
 前日の日曜午後に教委から指示があり全市一斉の対応だった。
 一学期に同じような台風の進路予想があり、臨時休業を決めたら天候が回復して肩すかしをくらったような日があったので、それに比べれば妥当な判断で、混乱なく経過したといってよかろう。

 それにしても安全確保が第一とされる機関としてはやむを得ない処置と思いつつ、昨今のこうした対応が迫られる案件に対してもう少し弾力的にできないものかと、ついつい思ってしまう。

 結局それは、昔のように?学校が単独で成り立たなくなってしまっている証左でもある。
 例えばスクールバスのこと、例えば給食のこと、様々な機関や各家庭に影響があることが考えられ、常に早い決断が要求される。
 それぞれのつながりが密である今、それは結果的に右倣え、前例踏襲の思考が強まることと言ってよい。

 また、例えばこうした緊急?の場合の連絡体制など、震災以降だいぶ検討され整備されてきたように感じるが、まだ困難な点は残る。
 実際に本校のような小規模であっても家庭状況は多様であり、時間帯による動静はばらばらであり、今回の連絡も計画どおりに進まなかった箇所は少なくなかった。

 もっとネット状況の進歩や普及が進めば、こうしたこともスムーズに運ぶことも考えられるだろう。
 それはきっと喜ぶべきことなのだろう。
 しかし、そんな体制が実現している場面(上で決められたことが一律に迅速に遺漏なく連絡され、滞ることなく伝わる)は、生死にかかわるような緊急時でいいのではないかな、という私の思いはくすぶり続ける。

 こんな方法を多くの場合に適用することは、結局人に身を任せることを常態化してしまうことにならないか。
 判断する側は混乱させてはならない配慮はすべきだが、もっとああだこうだと意見を交わしあう時間も必要だ。

 結論はどうであれ、その過程を、どんなふうに決まったかを大切にする、具体的には話し合いを保障すること…そういう習慣を萎ませてはいけない。

 危機管理という言葉が肥大して、非常時と平常時の区分線が動いている気がしている。
 それが一人一人の判断力の劣化につながらないか。

絶望との闘いを支えるもの

2012年10月01日 | 読書
 『なぜ君は絶望と闘えたのか』(門田隆将 新潮文庫)

 「本村洋の3300日」と副題がある。
 あの光市母子殺害事件の被害者の夫そして父親である本村さんについては、幾度もその顔をテレビで見た。

 話題いや争点になっている大よそのことは知っていたつもりだが、当然とはいえテレビ報道などでは到底伝えきれない思いや背景がいかに多かったことか、この本を読んで思い知らされた。

 本村さんの「戦い」の凄まじさは、画面からも想像できた。
 それはきっと尋常なる精神力ではないだろうことも予想できた。
 そのうえでも、この本から得られるエネルギーは大きい。
 厳しく打ちのめされても、一筋の光明を見出せば人間とはかくも強くなれるのだなと感嘆する。


 そしてさらに心打つのは、本村さんを支え、一緒に戦った仲間や上司、後援者たちの存在である。

 公判前に仕事を辞そうとしていた本村さんに対する工場長の言葉は、大人の重みを感じさせてくれる。

 「労働や納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は、社会人たりなさい」

 最初の判決後に落胆した遺族、その場で怒りに声を震わせた検事の言葉には、司法に正義の存在を見た。

 「このまま判決を認めたら、今度はこれが基準になってしまう。そんなことは許されない。百回負けても百一回目をやります。これはやらなければならない。」


 そして、プロローグとエピローグしか姿を見せない筆者自身も、本村さんと高い密着度があったはずで、その存在はかなり大きかったと思う。
 そうでなければこんな書は出来上がらない。

 エピローグ以降で語られる、筆者と被告Fとのやりとりは、また別次元のようでもあり、「命」という一本の線で貫かれているようでもあり、一種不思議な感覚を持ってしまった。

 凶悪な犯罪の被害者と加害者…隔てられた壁の強大さを感じつつも,透けてくる悲しみは似ている気がする。