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辞書を引くと、スケルトンは骸骨とか構造物の骨組みとでてくる。
スケルトンという言葉を知ったのは、アクリルなどの透明樹脂で外形を作り、中身を透けて見えるようにしたものが流行ってからだ。
私がもっているスケルトン商品は巻き尺と小さい計算機。
両方とも面白いと思って買ったのだけれど、使っているうちにキズだらけの不透明になって、いまはどこにいったか分からない。
スケルトンは中身が見えてることなのに、スケルにとらわれて透けてる外観のことをスケルトンと思ってしまう。
そうしてスケルトン商品を見た人が発する関西弁は、『透けとるん?』てなことになる。
散歩途中に木のスケルトンを見た。
最初の画像は小さな公園の中心にある、毎年恒例この時季に剪定された大木。
2枚目はトビ、カラス、モズ、ホオジロなんかが好んで止まりそうな枝ぶりの立ち枯れ。
これら木のスケルトンは、勝手な作為でも自然な衰退でも、何故かぐっと来る。