私は小説など、2~3ページで興味がわかないと、すぐに放り投げちゃうタイプ。まったくこらえ性がないなあ。とつくづく思うわけです。それが「直筆で読む『坊っちやん』」は何とか最後まで読めました。
だんだんと楽しく読めたので、そうすると、他の方はどう読まれたのだろうなあ。というのが次の興味でした。
どなたか書評を書いている人がいたら読みたいと思うわけです。
ということで、朝日の古新聞をもらってきたら、10月27日の文化欄に
(中村真理子)と署名記事。興味を持ちました。
「有名な書き出し。だが、ここでさっそくひっかかる。『か』が『可』の崩し字で読みづらい。くじけそうだ。・・そうやすやすと読みこなせるものではない。」
とあり、以下にいろいろと内容説明がつづくのですが、さて読み終わったとは書いてない。最後はどう締めくくっているかといえば「でも大丈夫。書店では、活字版の『坊っちゃん』がそばに並んでいる。」とありました(笑)。
うん。読まずに新刊の紹介を書くことはできる。
私もネット上で、レビューを書く時はよく読み通さないで書くことがあります。
しかも、書けちゃうのですね。これが。
たとえば、「直筆で読む・・・」の最後に、漱石の孫の夏目房之介さんが、「直筆」を読まずに書く見本のような文章を書いていてたいへんに参考になります。興味が本文からどんどんとそれてゆく、しかも書体ということですから、まんざら脱線しているというわけでもない。ですが本文は読まない。という可笑しな広がりの中へとつれていかれるのでした。ただ、読んでいないので、広がりは、そのままに集約されることもなく、拡散していくおそれがある。そこで、房之介さんは「挫折してしまった」と正直に書きこんでおられる。これは一つの見識ですね。正直に書きこまないですますこともできるのですから。
なんで、こんなにくどくどと書いているかといいますと。城山三郎・高山文彦対談「日本人への遺言」(講談社)に裁判のことがでていて、それが思い浮かんだのでした。
【高山】『落日燃ゆ」をめぐっては、裁判で訴えられたという話も聞きましたが、どういうことだったんですか。
・・・・・・・・・・・・・
【城山】・・・結局、判決はプライバシーということを言い出したわけ。プライバシーは尊重すべきであるけれども、本件の場合は公務員でもあるし、プライバシーの侵害は成立しないというのが判決だった。原則としてはプライバシーは尊重すべきであるけれども、本件はそれに該当しないと。この裁判を朝日新聞が取り上げたんだよね。僕の場合は問題なしとなっているのに、『プライバシーは尊重すべき』という判決が出て、『落日燃ゆ』に問題ありという書き方をしたわけ。僕はすぐに朝日に電話して、前文はそうだけど主文はこうだ、全部読んだのかと抗議した。そしたら、書いた記者は『拾い読みしましたけど』って。全文を読んでいないんだ。『つまみ食い』って言ったかな。
【高山】失礼な話ですね。
【城山】本当に舐めた言い方してね。それでよく記事が書けるなって。・・・・結局、その記事はそのままだった。それから三年ほどして、突然、『落日燃ゆ』のことがまた朝日新聞に出た。・・・城山は間違っていると。・・・新聞記事の趣旨とまったく違う。検事に対して話しただけであって。そこをまったく無視して朝日は『落日燃ゆ』が間違っていると。
【高山】ほんとにたち悪いですね。
【城山】たち悪いよ。だから、もう朝日新聞なんか取るなって。だって、そこまでやられたらね。
【高山】朝日新聞のほうはお詫びとか訂正記事は載せたんですか。たぶん抗議をしても、そういうのらりくらりの答弁では出なかったとは思いますが。
【城山】何もないね。だから、その記事だけ読んだ人は、城山が悪い人間だってなっちゃう。
【高山】朝日新聞は間違ったことを書かないという、妙な信仰が購読者の中にあるじゃないですか。実際は大間違いの記事もあるのに。僕も朝日新聞に書かれたことがあるんです。・・・・・・(p138~142)
ここから、高山文彦さんの語ることが興味深いのですが
ますます、引用が長くなりますので、これくらいにして
これから、「坊っちゃん」へともどることにしましょう。
坊っちゃんの終盤近くに、新聞が登場しておりましたね。
そこを引用したくなりました。
「昨日の喧嘩がちゃんと出ている。喧嘩の出ているのは驚かないのだが、中学の教師堀田某と、近頃東京から赴任した生意気なる某とが、順良なる生徒を使嗾(しそう)してこの騒動を喚起せるのみならず、両人は現場にあって生徒を指揮したる上、みだりに師範生に向って暴力をほしいままにしたりと書いて、次にこんな意見が付記してある。・・・・吾人は信ず、吾人が手を下す前に、当局者は相当の処分をこの無頼漢の上に加えて、彼らをして再び教育界に足を入るる余地なからしむることを。・・・」(岩波少年文庫「坊っちゃん」p171~172)
次はどうでしたっけ。最後に、そこも引用しておきましょう。
「あくる日、新聞のくるのを待ちかねて、ひらいて見ると、正誤どころか取消も見えない。学校へ行って狸に催促すると、あしたぐらい出すでしょうという。明日(あした)になって六号活字で小さく取消が出た。しかし新聞屋の方で正誤は無論しておらない。・・・・・新聞がそんなものなら、一日も早くぶっつぶしてしまった方が、われわれの利益だろう。新聞にかかれるのと、すっぽんに喰いつかれるとが似たり寄ったりだとは今日ただ今狸の説明によって始めて承知つかまつった。」
だんだんと楽しく読めたので、そうすると、他の方はどう読まれたのだろうなあ。というのが次の興味でした。
どなたか書評を書いている人がいたら読みたいと思うわけです。
ということで、朝日の古新聞をもらってきたら、10月27日の文化欄に
(中村真理子)と署名記事。興味を持ちました。
「有名な書き出し。だが、ここでさっそくひっかかる。『か』が『可』の崩し字で読みづらい。くじけそうだ。・・そうやすやすと読みこなせるものではない。」
とあり、以下にいろいろと内容説明がつづくのですが、さて読み終わったとは書いてない。最後はどう締めくくっているかといえば「でも大丈夫。書店では、活字版の『坊っちゃん』がそばに並んでいる。」とありました(笑)。
うん。読まずに新刊の紹介を書くことはできる。
私もネット上で、レビューを書く時はよく読み通さないで書くことがあります。
しかも、書けちゃうのですね。これが。
たとえば、「直筆で読む・・・」の最後に、漱石の孫の夏目房之介さんが、「直筆」を読まずに書く見本のような文章を書いていてたいへんに参考になります。興味が本文からどんどんとそれてゆく、しかも書体ということですから、まんざら脱線しているというわけでもない。ですが本文は読まない。という可笑しな広がりの中へとつれていかれるのでした。ただ、読んでいないので、広がりは、そのままに集約されることもなく、拡散していくおそれがある。そこで、房之介さんは「挫折してしまった」と正直に書きこんでおられる。これは一つの見識ですね。正直に書きこまないですますこともできるのですから。
なんで、こんなにくどくどと書いているかといいますと。城山三郎・高山文彦対談「日本人への遺言」(講談社)に裁判のことがでていて、それが思い浮かんだのでした。
【高山】『落日燃ゆ」をめぐっては、裁判で訴えられたという話も聞きましたが、どういうことだったんですか。
・・・・・・・・・・・・・
【城山】・・・結局、判決はプライバシーということを言い出したわけ。プライバシーは尊重すべきであるけれども、本件の場合は公務員でもあるし、プライバシーの侵害は成立しないというのが判決だった。原則としてはプライバシーは尊重すべきであるけれども、本件はそれに該当しないと。この裁判を朝日新聞が取り上げたんだよね。僕の場合は問題なしとなっているのに、『プライバシーは尊重すべき』という判決が出て、『落日燃ゆ』に問題ありという書き方をしたわけ。僕はすぐに朝日に電話して、前文はそうだけど主文はこうだ、全部読んだのかと抗議した。そしたら、書いた記者は『拾い読みしましたけど』って。全文を読んでいないんだ。『つまみ食い』って言ったかな。
【高山】失礼な話ですね。
【城山】本当に舐めた言い方してね。それでよく記事が書けるなって。・・・・結局、その記事はそのままだった。それから三年ほどして、突然、『落日燃ゆ』のことがまた朝日新聞に出た。・・・城山は間違っていると。・・・新聞記事の趣旨とまったく違う。検事に対して話しただけであって。そこをまったく無視して朝日は『落日燃ゆ』が間違っていると。
【高山】ほんとにたち悪いですね。
【城山】たち悪いよ。だから、もう朝日新聞なんか取るなって。だって、そこまでやられたらね。
【高山】朝日新聞のほうはお詫びとか訂正記事は載せたんですか。たぶん抗議をしても、そういうのらりくらりの答弁では出なかったとは思いますが。
【城山】何もないね。だから、その記事だけ読んだ人は、城山が悪い人間だってなっちゃう。
【高山】朝日新聞は間違ったことを書かないという、妙な信仰が購読者の中にあるじゃないですか。実際は大間違いの記事もあるのに。僕も朝日新聞に書かれたことがあるんです。・・・・・・(p138~142)
ここから、高山文彦さんの語ることが興味深いのですが
ますます、引用が長くなりますので、これくらいにして
これから、「坊っちゃん」へともどることにしましょう。
坊っちゃんの終盤近くに、新聞が登場しておりましたね。
そこを引用したくなりました。
「昨日の喧嘩がちゃんと出ている。喧嘩の出ているのは驚かないのだが、中学の教師堀田某と、近頃東京から赴任した生意気なる某とが、順良なる生徒を使嗾(しそう)してこの騒動を喚起せるのみならず、両人は現場にあって生徒を指揮したる上、みだりに師範生に向って暴力をほしいままにしたりと書いて、次にこんな意見が付記してある。・・・・吾人は信ず、吾人が手を下す前に、当局者は相当の処分をこの無頼漢の上に加えて、彼らをして再び教育界に足を入るる余地なからしむることを。・・・」(岩波少年文庫「坊っちゃん」p171~172)
次はどうでしたっけ。最後に、そこも引用しておきましょう。
「あくる日、新聞のくるのを待ちかねて、ひらいて見ると、正誤どころか取消も見えない。学校へ行って狸に催促すると、あしたぐらい出すでしょうという。明日(あした)になって六号活字で小さく取消が出た。しかし新聞屋の方で正誤は無論しておらない。・・・・・新聞がそんなものなら、一日も早くぶっつぶしてしまった方が、われわれの利益だろう。新聞にかかれるのと、すっぽんに喰いつかれるとが似たり寄ったりだとは今日ただ今狸の説明によって始めて承知つかまつった。」