読売新聞2007年11月10日「編集手帳」の、はじまりは印象的でした。
「『雍也(ようや)論語』という言葉がある。論語全20編を読み始めたものの、第6『雍也』編まできて飽きてしまい、途中で投げ出すことをいう。きのうで読書週間が終わった。読む意欲はあったのに、ついついほかの趣味に時間を取られ、せっかく買い求めた本の表紙にほこりを積もらせた方もあろう。今も昔も、読書に挫折はつきものである。」
ところで、私は思うわけです。
いまだ読んでいない本に大江健三郎著「沖縄ノート」(岩波新書)がある。
この新書は、どのようにして書かれたか。その書かれ方が気になる。
産経新聞11月10日に沖縄集団自決訴訟の大江健三郎氏の口頭弁論が取り上げられておりました。そこには
「大阪地裁(深見敏正裁判長)であり、本人尋問が行われた。大江氏は『参考資料を読み、執筆者に会って話を聞き、集団自決は軍隊命令という結論に至った』と述べ、軍命令説の正当性を主張した」とあります。
この新書は、資料や本を読んで、その執筆者と話して書いた本ということを語っております。何か読書週間にふさわしいお言葉ですが、その記載に問題があるとされており、そこが損害賠償や書物の出版・販売差し止めなどを求めての訴訟となっております。産経では(牧野克也)と署名で【視点】の解説、題して「論点すり替え 抽象論に終始」とあります。そこに、こんな言葉が拾えます。
「大江氏は自著で沖縄の文献に記載された軍命令説を引用し、元隊長の一人を『集団自決を強制したと記憶される男』『ペテン』などと記載。軍命令説を覆す有力証言や著書の出版が続いても加筆・訂正を加えず、今は発行部数30万部を超える」。
11月13日「産経抄」は、この口頭弁論を取り上げて書いておりました。
はじまりはこうです。
「沖縄戦について書かれた本の記述をうのみにして、大戦末期、当時の守備隊長らが、住民に集団自決を命令したと、決めつけただけではない。会ったこともない元隊長の心の中に入り込んでしまう。『戦争犯罪人』であり『者』は、『あまりにも巨きい罪の巨塊』の前で『なんとか正気で生き伸びたいとねが』い、『かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめた』とまでいう。三十数年ぶりに『沖縄ノート』を読み返して、あらためてノーベル賞作家の想像力のはばたきに脱帽した。もっとも、書かれた方はたまらない。個人名がなくても、隊長は島に一人しかいないのだから特定は容易だ。・・・」
ここで、産経抄子は大江健三郎氏側から提出された陳述書を読んで驚いたと書いております(この陳述書を読んでみたいなあ。私も驚いてみたいなあ)。
産経抄の最後はこう終わっておりました。
「この裁判の意味は、原告の名誉回復にとどまらない。著名作家の想像力によって歴史がつづられ、政治的な圧力で教科書の検定結果が覆ろうとしている。歴史とは何かを問う裁判でもある。」
ということなので、大江健三郎著「沖縄ノート」を遅ればせながら注文しました。
その「純文学的」言い回しを、自分の眼であらためて読みたいのでした。
「従来、【軍命令説】の根拠とされてきたのは、座間味島と渡嘉敷島のケースだった」とされる、それが、この裁判で覆えされるのか。歴史教科書問題もこの裁判しだいで、どなたにも明快になってくるのか。それはそれとして、とにかく岩波新書を読んでみることは私にもできそうです。今でも加筆・訂正されずに出版され続けている岩波新書の一冊。それがまだ読める。興味があります。
「『雍也(ようや)論語』という言葉がある。論語全20編を読み始めたものの、第6『雍也』編まできて飽きてしまい、途中で投げ出すことをいう。きのうで読書週間が終わった。読む意欲はあったのに、ついついほかの趣味に時間を取られ、せっかく買い求めた本の表紙にほこりを積もらせた方もあろう。今も昔も、読書に挫折はつきものである。」
ところで、私は思うわけです。
いまだ読んでいない本に大江健三郎著「沖縄ノート」(岩波新書)がある。
この新書は、どのようにして書かれたか。その書かれ方が気になる。
産経新聞11月10日に沖縄集団自決訴訟の大江健三郎氏の口頭弁論が取り上げられておりました。そこには
「大阪地裁(深見敏正裁判長)であり、本人尋問が行われた。大江氏は『参考資料を読み、執筆者に会って話を聞き、集団自決は軍隊命令という結論に至った』と述べ、軍命令説の正当性を主張した」とあります。
この新書は、資料や本を読んで、その執筆者と話して書いた本ということを語っております。何か読書週間にふさわしいお言葉ですが、その記載に問題があるとされており、そこが損害賠償や書物の出版・販売差し止めなどを求めての訴訟となっております。産経では(牧野克也)と署名で【視点】の解説、題して「論点すり替え 抽象論に終始」とあります。そこに、こんな言葉が拾えます。
「大江氏は自著で沖縄の文献に記載された軍命令説を引用し、元隊長の一人を『集団自決を強制したと記憶される男』『ペテン』などと記載。軍命令説を覆す有力証言や著書の出版が続いても加筆・訂正を加えず、今は発行部数30万部を超える」。
11月13日「産経抄」は、この口頭弁論を取り上げて書いておりました。
はじまりはこうです。
「沖縄戦について書かれた本の記述をうのみにして、大戦末期、当時の守備隊長らが、住民に集団自決を命令したと、決めつけただけではない。会ったこともない元隊長の心の中に入り込んでしまう。『戦争犯罪人』であり『者』は、『あまりにも巨きい罪の巨塊』の前で『なんとか正気で生き伸びたいとねが』い、『かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめた』とまでいう。三十数年ぶりに『沖縄ノート』を読み返して、あらためてノーベル賞作家の想像力のはばたきに脱帽した。もっとも、書かれた方はたまらない。個人名がなくても、隊長は島に一人しかいないのだから特定は容易だ。・・・」
ここで、産経抄子は大江健三郎氏側から提出された陳述書を読んで驚いたと書いております(この陳述書を読んでみたいなあ。私も驚いてみたいなあ)。
産経抄の最後はこう終わっておりました。
「この裁判の意味は、原告の名誉回復にとどまらない。著名作家の想像力によって歴史がつづられ、政治的な圧力で教科書の検定結果が覆ろうとしている。歴史とは何かを問う裁判でもある。」
ということなので、大江健三郎著「沖縄ノート」を遅ればせながら注文しました。
その「純文学的」言い回しを、自分の眼であらためて読みたいのでした。
「従来、【軍命令説】の根拠とされてきたのは、座間味島と渡嘉敷島のケースだった」とされる、それが、この裁判で覆えされるのか。歴史教科書問題もこの裁判しだいで、どなたにも明快になってくるのか。それはそれとして、とにかく岩波新書を読んでみることは私にもできそうです。今でも加筆・訂正されずに出版され続けている岩波新書の一冊。それがまだ読める。興味があります。