本をひらくと、釣りをしているような気分になることがあります。言葉の波間に、釣り糸を投げ込む。この本には大切な物がゆうゆうと泳いでいそうだとか、この本の、あの箇所に隠れていそうだとか。手応えは十分あったのだけれど、残念、釣り逃がしてしまったとか。あの箇所に出かければ、また釣れるのじゃないかとか。
こうして、ブログを書き出してから、そんなことをとりとめもなく思うのでした。けれども、この海には思いもしなかった怖さがひそんでいる。
城山三郎・高山文彦著「日本人への遺言」(講談社)に
【高山】『指揮官たちの特攻』を読むと・・特攻隊員の人たちが乗り移ったような言葉が随所にあって、城山さんが沖縄を訪ねるところもそうですよね。あれは船に乗って行かれたんでしたっけ。
【城山】彼ら特攻隊員たちが海坊主になって浮かんでくるような感じがしてね。
【高山】「いつまでも成仏できず漂う男たちののっぺらぼうの黒い顔であった」と書いておられる。
【城山】・・・本当にそういうものが見えてくる感じだったから。
【高山】今も心に鮮やかに残っているのは、津久見の中津留達雄大尉のお父様が急勾配の山道の先に作られた蜜柑畑に、城山さんご自身が登られるシーン。・・・・
【城山】・・・許されるなら、中津留大尉のお母さんが月のある夜に浜辺に行って、あの子は泳ぎが達者だから戻ってくるんじゃないかと願っておられた、それと同じことをしてみたかったね。月の明るい夜、お母さん、どこに立っていたんですかって。そこにたってみてね。どんな気持ちで戻ってくるはずのない子供のことを思っていたのか、話を聞いているうちにだんだんそうしたくなってくるんだよ、こっちも。
(p161~162)
城山三郎氏は昭和2年(1927)生まれ。
井上靖氏は、明治40年(1907)生まれ。
井上靖の詩集「北国」は1958年でした。
そのなかに詩「友」があるのでした。
どうしてこんな解りきったことが
いままで思いつかなかったろう。
敗戦の祖国へ
君にはほかにどんな帰り方もなかったのだ。
――海峡の底を歩いて帰る以外。
これが、詩「友」の全文。
今年は、NHKスペシャルドラマ「鬼太郎が見た玉砕」が8月にありました。
水木しげる氏の文「ビンタ――私の戦争体験――」の最後の方を、ここにも引用しておきます。
「幸運な者だけが生き残ったというべきだろうか、僕は今でもよく戦死した戦友の夢をみる。最近は毎日のように見る。また一生の間で一番神経を使ったし、一番エネルギーを出したせいか、毎日のようにみるから不思議だ。それでまた細かいことまでよく覚えており、毎日それこそ映画でもみるような気持ちだが、どういうわけか、いつも最後は《戦死》したものの顔がうかび・・・・、いやそれが長く、毎日のようにつづくので、彼等は会いにくるのだろうと勝手に考えている・・・・」
水木しげる氏は大正11年(1922)生まれ。
詩人石垣りんは大正9年(1920)生まれ。
石垣りんには詩「崖」がありました。
戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
こうして、ブログを書き出してから、そんなことをとりとめもなく思うのでした。けれども、この海には思いもしなかった怖さがひそんでいる。
城山三郎・高山文彦著「日本人への遺言」(講談社)に
【高山】『指揮官たちの特攻』を読むと・・特攻隊員の人たちが乗り移ったような言葉が随所にあって、城山さんが沖縄を訪ねるところもそうですよね。あれは船に乗って行かれたんでしたっけ。
【城山】彼ら特攻隊員たちが海坊主になって浮かんでくるような感じがしてね。
【高山】「いつまでも成仏できず漂う男たちののっぺらぼうの黒い顔であった」と書いておられる。
【城山】・・・本当にそういうものが見えてくる感じだったから。
【高山】今も心に鮮やかに残っているのは、津久見の中津留達雄大尉のお父様が急勾配の山道の先に作られた蜜柑畑に、城山さんご自身が登られるシーン。・・・・
【城山】・・・許されるなら、中津留大尉のお母さんが月のある夜に浜辺に行って、あの子は泳ぎが達者だから戻ってくるんじゃないかと願っておられた、それと同じことをしてみたかったね。月の明るい夜、お母さん、どこに立っていたんですかって。そこにたってみてね。どんな気持ちで戻ってくるはずのない子供のことを思っていたのか、話を聞いているうちにだんだんそうしたくなってくるんだよ、こっちも。
(p161~162)
城山三郎氏は昭和2年(1927)生まれ。
井上靖氏は、明治40年(1907)生まれ。
井上靖の詩集「北国」は1958年でした。
そのなかに詩「友」があるのでした。
どうしてこんな解りきったことが
いままで思いつかなかったろう。
敗戦の祖国へ
君にはほかにどんな帰り方もなかったのだ。
――海峡の底を歩いて帰る以外。
これが、詩「友」の全文。
今年は、NHKスペシャルドラマ「鬼太郎が見た玉砕」が8月にありました。
水木しげる氏の文「ビンタ――私の戦争体験――」の最後の方を、ここにも引用しておきます。
「幸運な者だけが生き残ったというべきだろうか、僕は今でもよく戦死した戦友の夢をみる。最近は毎日のように見る。また一生の間で一番神経を使ったし、一番エネルギーを出したせいか、毎日のようにみるから不思議だ。それでまた細かいことまでよく覚えており、毎日それこそ映画でもみるような気持ちだが、どういうわけか、いつも最後は《戦死》したものの顔がうかび・・・・、いやそれが長く、毎日のようにつづくので、彼等は会いにくるのだろうと勝手に考えている・・・・」
水木しげる氏は大正11年(1922)生まれ。
詩人石垣りんは大正9年(1920)生まれ。
石垣りんには詩「崖」がありました。
戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。