シリーズ「とんぼの本」(新潮社)の一冊に「洲之内徹 絵のある一生」が入りました。それが、なんとも楽しい一冊なんです。いつか読んでみたいのだけれど、読めないでいる本(まあ、冷静にみればまわりにそんな本ばかりなのですが)に洲之内徹「気まぐれ美術館」のシリーズがあります。さて、どこからチャレンジすればよいやら、とり着く島が見あたらないでおりました。ここに、かっこうの入門書を見つけた。そう私は思ったわけです。
ここには、あるとてつもない楽しみを見つけてしまった人がいるわけです。
それが、理解の及ばないスケールであるというのが、私に何となくは、わかる。これが困る。どういうたぐいの楽しみか、読んでも皆目見当がつかない。
たとえば、泥棒。
洲之内徹さんの大森のアパートに空巣が入ったエピソードが紹介されております。
「扉の錠が壊され、部屋の中が荒されていた。しかし、押入れに箱に入れて無造作に並べてあった中村彝(つね)や林武をはじめ、相当な値がつくはずの絵には泥棒は気づかなかったのか見向きもせず、また雑然とした机上に置いてあった円空仏もそのままだった。洲之内徹によると千七百円だか盗られたそうだが、結局そのあとも・・・蠣殻町に移ってもコレクションの収納場所はやはり押入れだった。」(p58)
ちなみに、大森の木造モルタルのアパートの見取り図(後藤洋明)・写真も、ちゃんと掲載されております(p50)。ぬすむといえば、洲之内徹の経営していた「現代画廊」でも、顧客が堂々と盗んでゆきます。たとえば、井部栄治氏。
「井部氏が『現代画廊』に立寄ると、(村山)槐多の<裸婦>が掛かっている。どうしても欲しいと思い、店番に訊いてみたが『主人が留守で・・・』とはっきりしない。こんないい絵を洲之内が手放すはずがない、手に入れるならいまのうちだと思った井部氏は、『いいから、早く荷造りを』と急き立てた。なおも渋るその男の靴が汚れているのを見て『これで靴でも買いなさい』とポケットにチップをねじこんだ・・・。以上が、この絵が井部コレクションに入ったいきさつらしい。洲之内が口惜しがったのはいうまでもない。・・・」(p14~15)
何とも細かいエピソードが拾われております。たとえば靴。
洲之内の足ということで、靴屋のエピソードもちゃんと拾われております。「私の足はちょっと特殊な足で、甲が低く、指が扇のように広がっていて、靴だけは既製品ではどうしても駄目。靴よりもわらじを穿くようにできている足なのである。昔から靴には泣かされたが、はじめてその私の足に合うように靴を作ってくれたのがその靴屋で、私は心の裡でひそかに恩義を感じている」(p56)とあり、この本の目次のつぎのページにその靴が写真入りで載っているじゃありませんか。
その靴の写真の次のページが何とも紹介しなければなりません。
松山東高校の校長室の写真なのです。もとは松山高校で漱石が教えたことのある学校ということで、漱石の絵と並んで洲之内徹の絵があるというツーショット。母校ということで、校歌も作詞しており、それがちゃんと3番まで歌詞が載っております(p129)。
こうしたエピソードをテンコ盛りにして一冊にしたような本なのです。どうでしょう。すこしはわかっていただけますか。おっと洲之内氏と絵のこともすこし引用しておかなければ片手落ちですね。ご自身の言葉を引用しておきます。
「ハラセイ(原精一)さんが死んでしまった。私は淋しくてしょうがない。・・一枚の絵について判断に自信の持てないとき、私はよくその絵を原さんに見せた。原さんが画廊へ来るのを待って、仕舞っておいたその絵を出して原さんに見せる。原さんがいいと言えばやっぱりその絵はいい。原さんがよくないと言えばその絵はやっぱりよくない。しょっちゅうそうしていたわけではないが、しかし、この先、そういうとき私はどうしたらいいのか。それを思うと・・・」(p104)
今年は洲之内徹の没後20年なのだそうです。やっぱり、この本は
洲之内徹と出会うための、最新最高の一冊としてよろしいですね。
ここには、あるとてつもない楽しみを見つけてしまった人がいるわけです。
それが、理解の及ばないスケールであるというのが、私に何となくは、わかる。これが困る。どういうたぐいの楽しみか、読んでも皆目見当がつかない。
たとえば、泥棒。
洲之内徹さんの大森のアパートに空巣が入ったエピソードが紹介されております。
「扉の錠が壊され、部屋の中が荒されていた。しかし、押入れに箱に入れて無造作に並べてあった中村彝(つね)や林武をはじめ、相当な値がつくはずの絵には泥棒は気づかなかったのか見向きもせず、また雑然とした机上に置いてあった円空仏もそのままだった。洲之内徹によると千七百円だか盗られたそうだが、結局そのあとも・・・蠣殻町に移ってもコレクションの収納場所はやはり押入れだった。」(p58)
ちなみに、大森の木造モルタルのアパートの見取り図(後藤洋明)・写真も、ちゃんと掲載されております(p50)。ぬすむといえば、洲之内徹の経営していた「現代画廊」でも、顧客が堂々と盗んでゆきます。たとえば、井部栄治氏。
「井部氏が『現代画廊』に立寄ると、(村山)槐多の<裸婦>が掛かっている。どうしても欲しいと思い、店番に訊いてみたが『主人が留守で・・・』とはっきりしない。こんないい絵を洲之内が手放すはずがない、手に入れるならいまのうちだと思った井部氏は、『いいから、早く荷造りを』と急き立てた。なおも渋るその男の靴が汚れているのを見て『これで靴でも買いなさい』とポケットにチップをねじこんだ・・・。以上が、この絵が井部コレクションに入ったいきさつらしい。洲之内が口惜しがったのはいうまでもない。・・・」(p14~15)
何とも細かいエピソードが拾われております。たとえば靴。
洲之内の足ということで、靴屋のエピソードもちゃんと拾われております。「私の足はちょっと特殊な足で、甲が低く、指が扇のように広がっていて、靴だけは既製品ではどうしても駄目。靴よりもわらじを穿くようにできている足なのである。昔から靴には泣かされたが、はじめてその私の足に合うように靴を作ってくれたのがその靴屋で、私は心の裡でひそかに恩義を感じている」(p56)とあり、この本の目次のつぎのページにその靴が写真入りで載っているじゃありませんか。
その靴の写真の次のページが何とも紹介しなければなりません。
松山東高校の校長室の写真なのです。もとは松山高校で漱石が教えたことのある学校ということで、漱石の絵と並んで洲之内徹の絵があるというツーショット。母校ということで、校歌も作詞しており、それがちゃんと3番まで歌詞が載っております(p129)。
こうしたエピソードをテンコ盛りにして一冊にしたような本なのです。どうでしょう。すこしはわかっていただけますか。おっと洲之内氏と絵のこともすこし引用しておかなければ片手落ちですね。ご自身の言葉を引用しておきます。
「ハラセイ(原精一)さんが死んでしまった。私は淋しくてしょうがない。・・一枚の絵について判断に自信の持てないとき、私はよくその絵を原さんに見せた。原さんが画廊へ来るのを待って、仕舞っておいたその絵を出して原さんに見せる。原さんがいいと言えばやっぱりその絵はいい。原さんがよくないと言えばその絵はやっぱりよくない。しょっちゅうそうしていたわけではないが、しかし、この先、そういうとき私はどうしたらいいのか。それを思うと・・・」(p104)
今年は洲之内徹の没後20年なのだそうです。やっぱり、この本は
洲之内徹と出会うための、最新最高の一冊としてよろしいですね。