村上春樹著「走ることについて語るときに僕の語ること」(文藝春秋)を読みました。
村上春樹氏はけっして早いマラソンランナーではないようです。
その人が走ることを書く。
水泳のコーチを頼む際に、こんな箇所があります。
「世の中にうまく泳げる人は数多くいるが、泳ぎ方を要領よく教授できる人はあまりいない。それが僕の実感だった。小説の書き方を教えるのもむずかしいが(少なくとも僕にはできそうにない)、泳ぎ方を教えるのもそれに劣らずむずかしそうだ。いや、何も水泳や小説に限ったことではない。」(p216)
たとえば、サロマ湖100キロウルトラマラソンに参加した村上氏は、途中で奥さんにどう答えたか。
「55キロの休憩地点・・・ここでだいたい十分ぐらい休憩していたが、そのあいだ一度も腰を下ろさなかった。いったん座り込んだら、もう一度立ち上がって走り始めることがむずかしくなるんじゃないかという気がした。だから用心して座らなかった。『大丈夫?』ときかれる。『大丈夫だよ』と僕は簡潔に答える。それ以外に答えようがない。」(p147~148)
そして、こんな箇所。
「しかし何はともあれ走り続ける。日々走ることは僕にとっての生命線のようなもので、忙しいからといって手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは、その『ほんの少しの理由』をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。」(p102~103)
こうした『大型トラック』が、前方に立ちふさがるのを、ちょうど魚が水中で障害物をスイスイとよけてゆくように、この200数十㌻の本の中で、村上春樹氏はランナーの心得をすいすいと描いてゆくのでした。そして、どうやら大型トラックいっぱいぶんの『理由』が、荷崩れすることなく、無事に走り終える。そんな爽快感を、読者もいっしょに味わうことになるのでした。
村上春樹氏はけっして早いマラソンランナーではないようです。
その人が走ることを書く。
水泳のコーチを頼む際に、こんな箇所があります。
「世の中にうまく泳げる人は数多くいるが、泳ぎ方を要領よく教授できる人はあまりいない。それが僕の実感だった。小説の書き方を教えるのもむずかしいが(少なくとも僕にはできそうにない)、泳ぎ方を教えるのもそれに劣らずむずかしそうだ。いや、何も水泳や小説に限ったことではない。」(p216)
たとえば、サロマ湖100キロウルトラマラソンに参加した村上氏は、途中で奥さんにどう答えたか。
「55キロの休憩地点・・・ここでだいたい十分ぐらい休憩していたが、そのあいだ一度も腰を下ろさなかった。いったん座り込んだら、もう一度立ち上がって走り始めることがむずかしくなるんじゃないかという気がした。だから用心して座らなかった。『大丈夫?』ときかれる。『大丈夫だよ』と僕は簡潔に答える。それ以外に答えようがない。」(p147~148)
そして、こんな箇所。
「しかし何はともあれ走り続ける。日々走ることは僕にとっての生命線のようなもので、忙しいからといって手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは、その『ほんの少しの理由』をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。」(p102~103)
こうした『大型トラック』が、前方に立ちふさがるのを、ちょうど魚が水中で障害物をスイスイとよけてゆくように、この200数十㌻の本の中で、村上春樹氏はランナーの心得をすいすいと描いてゆくのでした。そして、どうやら大型トラックいっぱいぶんの『理由』が、荷崩れすることなく、無事に走り終える。そんな爽快感を、読者もいっしょに味わうことになるのでした。