前回の続きです。
鶴見俊輔氏の対談では、相手によって、同じ場面でも、語りかけが違っておりますね。ここでは、戦争中に新聞を作ったという話を、違う本から紹介します。
「同時代を生きて 忘れえぬ人びと」(岩波書店)そのp50~51。
【鶴見】・・・・負けるときには、負ける側にいたいと思って帰ってきたんです。
でも、そのときには、これだけ身体が悪いんだから兵隊にはとられない、と思ってた。そしたら合格。・・さすがに甲種じゃないんですよね。召集待ちなんです。そのときに、どうも陸軍より海軍のほうが文明的だと・・・(笑)。
【瀬戸内寂聴】どうしてもそう思ってね。日本人って、皆、そう思ってた。おかしいですね(笑)。
【鶴見】それで志願したんです。ドイツ語の通訳。ドイツと日本はつながってますからね。潜水艦と封鎖突破船、それから最後は飛行機でつながろうと思っていた。だから、どうしてもドイツ語が必要なんですよ。それで私は、封鎖突破船に乗ったんです。
潜水艦基地がジャカルタにあって、そこへ海軍武官府といって、海軍の小さいステーションがあったんです。陸軍基地の中の海軍のステーションですね。そこに軍属として・・・。私は日本では小学校しか出ていないから階級が低くて判任軍属なんだけれども、そこで勤務したんです。そしたら、海軍は作戦の必要があって、ステーションの長が、「敵の読むのと同じ新聞を作ってくれ」といったんです。そうでないと困るんですね。「大本営発表」でやったら、撃沈したっていわれる船が向こうから出てくるんだから。それで私は、毎日、新聞を作ったんです。夜中を過ぎると短波(ラジオ)で、ロンドンとアメリカ、インド、中国、オーストラリアの放送を聞いて、メモを取るんです。重複するところを除いて、朝、一日の新聞を書くんです。私は四年間アメリカへ行っていたわけですからたいへんな悪筆で、書けることは書けるんだけど、海軍というのは合理性があって、私の両側にタイピストがつくんです。それで、すぐにタイプにして、昼までにその日の新聞ができるんです。毎日新聞を作った。
【瀬戸内】それは、面白かったですね。
【鶴見】面白くないよぉ(笑)。一生で、あんなに働いたことはない。私の作った新聞だけで、こんなにあるでしょう。昼飯に降りてくると、手がブルブル震えたね。そのうちに、もともとあったカリエスから膿が出てきて病院に入ったんです。海軍は、麻酔を倹約するからものすごく痛いんです。・・・・
この本は鼎談(ドナルド・キーン。瀬戸内寂聴。鶴見俊輔)でした。
鶴見さんは、打ち手によっていろいろな音色を出す鐘みたいなもので、
貴重な打ち手が、さまざまな音色を出すように打ってもらいたいと願うのでした。
鶴見俊輔氏の対談では、相手によって、同じ場面でも、語りかけが違っておりますね。ここでは、戦争中に新聞を作ったという話を、違う本から紹介します。
「同時代を生きて 忘れえぬ人びと」(岩波書店)そのp50~51。
【鶴見】・・・・負けるときには、負ける側にいたいと思って帰ってきたんです。
でも、そのときには、これだけ身体が悪いんだから兵隊にはとられない、と思ってた。そしたら合格。・・さすがに甲種じゃないんですよね。召集待ちなんです。そのときに、どうも陸軍より海軍のほうが文明的だと・・・(笑)。
【瀬戸内寂聴】どうしてもそう思ってね。日本人って、皆、そう思ってた。おかしいですね(笑)。
【鶴見】それで志願したんです。ドイツ語の通訳。ドイツと日本はつながってますからね。潜水艦と封鎖突破船、それから最後は飛行機でつながろうと思っていた。だから、どうしてもドイツ語が必要なんですよ。それで私は、封鎖突破船に乗ったんです。
潜水艦基地がジャカルタにあって、そこへ海軍武官府といって、海軍の小さいステーションがあったんです。陸軍基地の中の海軍のステーションですね。そこに軍属として・・・。私は日本では小学校しか出ていないから階級が低くて判任軍属なんだけれども、そこで勤務したんです。そしたら、海軍は作戦の必要があって、ステーションの長が、「敵の読むのと同じ新聞を作ってくれ」といったんです。そうでないと困るんですね。「大本営発表」でやったら、撃沈したっていわれる船が向こうから出てくるんだから。それで私は、毎日、新聞を作ったんです。夜中を過ぎると短波(ラジオ)で、ロンドンとアメリカ、インド、中国、オーストラリアの放送を聞いて、メモを取るんです。重複するところを除いて、朝、一日の新聞を書くんです。私は四年間アメリカへ行っていたわけですからたいへんな悪筆で、書けることは書けるんだけど、海軍というのは合理性があって、私の両側にタイピストがつくんです。それで、すぐにタイプにして、昼までにその日の新聞ができるんです。毎日新聞を作った。
【瀬戸内】それは、面白かったですね。
【鶴見】面白くないよぉ(笑)。一生で、あんなに働いたことはない。私の作った新聞だけで、こんなにあるでしょう。昼飯に降りてくると、手がブルブル震えたね。そのうちに、もともとあったカリエスから膿が出てきて病院に入ったんです。海軍は、麻酔を倹約するからものすごく痛いんです。・・・・
この本は鼎談(ドナルド・キーン。瀬戸内寂聴。鶴見俊輔)でした。
鶴見さんは、打ち手によっていろいろな音色を出す鐘みたいなもので、
貴重な打ち手が、さまざまな音色を出すように打ってもらいたいと願うのでした。