寺田寅彦著「柿の種」(岩波文庫)の短章10番目に「屠蘇」がでてきておりました。お正月なので、ここを引用してみたくなりました。
短いのでほとんど引用しちゃいましょう。
「親類のTが八つになる男の子を連れて年始に来た。・・彼は、中学校の体育教師で、男の子ばかり九人養っている。宅(うち)へ行って見ると、畳も建具も、実に手のつけ所のないほどに破れ損じているのである。挨拶がすんで、屠蘇が出て、しばらく話しているうちに、その子はつかつかと縁側へ立って行った、と思うといきなりそこの柱へ抱きついて、見る間に頂上までよじ上ってしまった。Tがあわててしかると、するするとすべり落ちて、Tの横の座布団の上にきちんとすわって、袴のひざを合わせた上へ、だいぶひびの切れた両手を正しくついて、そうして知らん顔をしているのであった。しきりに言い訳をするTを気の毒とは思いながらも、私は愉快な、心からの笑い声が咽喉からせり上げて来るのを防ぎかねた。」
私はここまで、読んだときに、こりゃ西原理恵子の「毎日かあさん」の世界じゃないか。と思ったわけです。そういえば、寺田寅彦は高知出身で、おそらく親類のTというのは同じ高知の人だと考えてもよさそうです。そして西原理恵子も高知出身。寺田寅彦は、そのあとをこう記して終わっておりました。
「貧しくてもにぎやかな家庭で、八人の兄弟の間に自由にほがらかに活発に育って来たこの子の身の上を、これとは反対に実に静かでさびしかった自分の幼時の生活に思い比べて、少しうらやましいような気もするのであった。」
大正時代に寺田寅彦が笑った、その笑いが、いまの家庭漫画(四コマなどの)へとつながっているように思われます。「柿の種」のそこここにある笑いを、並べてみると、そのつながりを思い浮かべるのです。たのしいですよ。
短いのでほとんど引用しちゃいましょう。
「親類のTが八つになる男の子を連れて年始に来た。・・彼は、中学校の体育教師で、男の子ばかり九人養っている。宅(うち)へ行って見ると、畳も建具も、実に手のつけ所のないほどに破れ損じているのである。挨拶がすんで、屠蘇が出て、しばらく話しているうちに、その子はつかつかと縁側へ立って行った、と思うといきなりそこの柱へ抱きついて、見る間に頂上までよじ上ってしまった。Tがあわててしかると、するするとすべり落ちて、Tの横の座布団の上にきちんとすわって、袴のひざを合わせた上へ、だいぶひびの切れた両手を正しくついて、そうして知らん顔をしているのであった。しきりに言い訳をするTを気の毒とは思いながらも、私は愉快な、心からの笑い声が咽喉からせり上げて来るのを防ぎかねた。」
私はここまで、読んだときに、こりゃ西原理恵子の「毎日かあさん」の世界じゃないか。と思ったわけです。そういえば、寺田寅彦は高知出身で、おそらく親類のTというのは同じ高知の人だと考えてもよさそうです。そして西原理恵子も高知出身。寺田寅彦は、そのあとをこう記して終わっておりました。
「貧しくてもにぎやかな家庭で、八人の兄弟の間に自由にほがらかに活発に育って来たこの子の身の上を、これとは反対に実に静かでさびしかった自分の幼時の生活に思い比べて、少しうらやましいような気もするのであった。」
大正時代に寺田寅彦が笑った、その笑いが、いまの家庭漫画(四コマなどの)へとつながっているように思われます。「柿の種」のそこここにある笑いを、並べてみると、そのつながりを思い浮かべるのです。たのしいですよ。