インターネットで本が注文できる。
というのが、どれほど恩恵をこうむっていることか。
家にいながらにして、新刊もとどけば、古本も買える。
古本とは、古本屋へと出かけて、探してみつけて、買って帰って読むものとばかり思っておりました。それに私などは、お目当ての古本を探して帰ると、それだけで満足してしまって、とても本を読む気がしないことしばしばでした。それを思うと、本を読むのに際して、ネット上での購入が、陽だまりに思えるのでした。
ということで、今年もその恩恵にあずかって読んでいきたいと思います。
中村草田男句集「長子」も、ネット古本屋で注文しました。
例によって、パラパラとめくっていたら、こんな句がありました。
望郷
柿の木の無き都邊の秋幾度
中村草田男は伊予松山の松山中・松山高を出ております。
明治34年(1901)~昭和58(1983)年。
もう少し引用しましょう。
道ばたに旧正月の人立てる
降る雪や明治は遠くなりにけり
たたみたる傘はすこしの雪まじり
雪解けて茨の露となりにけり
石に無く岩には雪の残りたる
司馬遼太郎著「『昭和』という国家」(NHK出版)に、こういう箇所があります。
「私が『坂の上の雲』という小説を書こうとした動機は、もうちょっと自分で明治を知りたいということでした。動機のうちの、いくつかのひとつに、やはりみなさんご存じの中村草田男(1901~83)の俳句がありました。『降る雪や明治は遠くなりにけり』草田男は明治34年生まれでしたか、松山の人であります。大学生であることを30歳ぐらいまで続けていた暢気な人でした。たしか私は草田男の文章を読んだ記憶があるのですが、青山付近を通っていて、青山南小学校の生徒たちがランドセルを背負って校門から出てくるのを見ながら、この俳句が浮かんだと。それ以上のことはよくわかりません。つまり『明治は遠くなりにけり』というのは、明治という日本があったと、その明治という日本も遠くなったなということですね。それを草田男が感じたのは、昭和6年だった。激動の時代が始まろうとしている年であります。」(p162~163)
さて、私が購入した古本の句集「長子」は昭和21年10月の再刊とあります。
最後の「再刊の跋」は草田男の文で、こうはじまっておりました。
「畏友松本たかし氏・・・御好意に依り、私の第一句集『長子』が茲に再刊される運びとなつた。同書は昭和十一年の初刊であるから、正に十年の歳月が其間に経過してゐる。十年ひと昔の語は陳腐であるかもしれないが、現実はひと昔の語に匹敵するだけの変転を呈した。国家は未曾有の準戦時及び戦時を経て、今混沌の中に再建の業に新らしく就かんとしつつある。身亦、其機運の中にあつて、国民の一員として、内界外界を統べての新らしい困苦と創造の第一歩を踏み初めんとして居る。・・・・」
というのが、どれほど恩恵をこうむっていることか。
家にいながらにして、新刊もとどけば、古本も買える。
古本とは、古本屋へと出かけて、探してみつけて、買って帰って読むものとばかり思っておりました。それに私などは、お目当ての古本を探して帰ると、それだけで満足してしまって、とても本を読む気がしないことしばしばでした。それを思うと、本を読むのに際して、ネット上での購入が、陽だまりに思えるのでした。
ということで、今年もその恩恵にあずかって読んでいきたいと思います。
中村草田男句集「長子」も、ネット古本屋で注文しました。
例によって、パラパラとめくっていたら、こんな句がありました。
望郷
柿の木の無き都邊の秋幾度
中村草田男は伊予松山の松山中・松山高を出ております。
明治34年(1901)~昭和58(1983)年。
もう少し引用しましょう。
道ばたに旧正月の人立てる
降る雪や明治は遠くなりにけり
たたみたる傘はすこしの雪まじり
雪解けて茨の露となりにけり
石に無く岩には雪の残りたる
司馬遼太郎著「『昭和』という国家」(NHK出版)に、こういう箇所があります。
「私が『坂の上の雲』という小説を書こうとした動機は、もうちょっと自分で明治を知りたいということでした。動機のうちの、いくつかのひとつに、やはりみなさんご存じの中村草田男(1901~83)の俳句がありました。『降る雪や明治は遠くなりにけり』草田男は明治34年生まれでしたか、松山の人であります。大学生であることを30歳ぐらいまで続けていた暢気な人でした。たしか私は草田男の文章を読んだ記憶があるのですが、青山付近を通っていて、青山南小学校の生徒たちがランドセルを背負って校門から出てくるのを見ながら、この俳句が浮かんだと。それ以上のことはよくわかりません。つまり『明治は遠くなりにけり』というのは、明治という日本があったと、その明治という日本も遠くなったなということですね。それを草田男が感じたのは、昭和6年だった。激動の時代が始まろうとしている年であります。」(p162~163)
さて、私が購入した古本の句集「長子」は昭和21年10月の再刊とあります。
最後の「再刊の跋」は草田男の文で、こうはじまっておりました。
「畏友松本たかし氏・・・御好意に依り、私の第一句集『長子』が茲に再刊される運びとなつた。同書は昭和十一年の初刊であるから、正に十年の歳月が其間に経過してゐる。十年ひと昔の語は陳腐であるかもしれないが、現実はひと昔の語に匹敵するだけの変転を呈した。国家は未曾有の準戦時及び戦時を経て、今混沌の中に再建の業に新らしく就かんとしつつある。身亦、其機運の中にあつて、国民の一員として、内界外界を統べての新らしい困苦と創造の第一歩を踏み初めんとして居る。・・・・」