最近の新書は、バラエティに富んできておりますね。
ということで、ここでは、新書の古典とは。ということを、ふっと思ったわけです。
たとえば、梅田望夫著「ウェブ時代をゆく」(ちくま新書)に
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)と
渡部昇一著「知的生活の方法」(講談社現代新書)とが出てくる箇所がありました。
ちょいと、その登場箇所を引用してみます。
「まずは言葉の定義も含め、四十年近く前に書かれたがじつに今日的な同書を下敷きにすることで、現代の『知的生産』の豊饒な可能性を考えてみたい。個人が、しらべ、読み、考え、発見し、何か新しい情報を創出し、それをひとにわかるかたちで書き、誰かに提出するまでの一連の行為を、梅棹は『知的生産』という言葉にこめた。ただ『頭がいい』とか『記憶力がいい』ということも生産を伴わなければ意味がなく、『本を読む』という高度に知的な行為も、アウトプットがないならば『知的消費』に過ぎず『知的生産』ではないのだと梅棹は言い切った。」(p146)
そういえば、文藝春秋2008年2月号。日垣隆氏の連載「新書の一点賭け」が最終回とあります。ちっとも読んでいなかったのですが、最終回というので読んでみました。
こうはじまっておりました。
「最終回にあたり、例外をお許しいただきたいと思います。」
うん。何か気になって読みたくなるでしょう。私がそうでした。ではひき続いて引用。
「最近刊行された『新書』のなかから選ぶという連載趣旨から一度だけ外れます。日本語で書かれた数ある新書のなかで、私自身にとって人生の転機と言えるほど影響を受けたものは、理科系では岡田節人(ときんど)『からだの設計図』、文科系では清水幾太郎『論文の書き方』です。基礎科学の奥深さに目覚め、『からだの設計図』を読んだ直後にTBSラジオから依頼のあったサイエンス番組を即座に引き受け、今も続いています。後者『論文の書き方』が出版されたのは半世紀も前ですが、初めて熟読したのは二十歳になったばかりの夏でした。ここで『論文』とは・・『知的散文』という程度の意味です。【文章を作るのは、思想を作ることであり、人間を作ることである】という一文に、まず衝撃を受けました。【天才は別であろうが、私たちの場合は、書くという働きを行った後に、漸く読むという働きが完了することが多いようである。】――この一文に接するまで、率直に自分はただの莫迦だと思っていました。他人が言ったり書いたりしていることを理解するのにとても時間がかかるうえ、何らかの形で書かなければ読んだことを消化できなかったからです。・・・もう一つ、今も座右の銘にしている言葉が、この本のなかにあります。【本当の批判というのは、一度は自分が渦に巻き込まれて、溺れそうになって、悪戦苦闘、そこから辛くも身を解き放つ場合に初めて成り立つのであろう。犬の遠吠えのような批判では、文章の勉強にはならない。まして、内容の勉強にはならない。】文筆業に就いてからおよそ二十年間、私が批判対象にしたものは、例外なく【一度は自分が渦に巻き込まれて、溺れそうになって、悪戦苦闘、そこから辛くも身を解き放】ったものばかりです。この本に、心から感謝しています。」(p390~391)
もどって、梅田氏が語る二冊目。渡部昇一の新書をとりあげた箇所。
「1976年のベストセラー『知的生活の方法』は、私の『生きるために水を飲むような読書』の最初の一冊目だった。この本が多くの人にどう受け止められたのかは知らないが、当時高校生だった私の心に強く残ったのは、『知的生活を送るにはお金がかかるものなのだな。働いて稼いでうんと資産を作らなくては、満足な知的生活を生涯送ることってできないんだな』という刷り込みであった。・・・・」(p158)本文はこれからが本題なのですが、ここまで引用すればよいでしょう。
月刊雑誌「WILL」2008年2月号は新春特大号と称して、「新春特別対談24ページ」が掲載されております。題して「渡部昇一vs日垣隆 史上最強の知的生活の方法」。ちょうど、梅田氏が刷り込まれた問題がテーマになって、話題が広がっておりました。
ということで、それを引用したくなるのですが、ここまで紹介すれば、それでもういいですよね。2008年を彩る新春対談にふさわしい読み甲斐があります。それは。新春の福袋ですので、開いて読んでのお楽しみ(笑)。
ということで、ここでは、新書の古典とは。ということを、ふっと思ったわけです。
たとえば、梅田望夫著「ウェブ時代をゆく」(ちくま新書)に
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)と
渡部昇一著「知的生活の方法」(講談社現代新書)とが出てくる箇所がありました。
ちょいと、その登場箇所を引用してみます。
「まずは言葉の定義も含め、四十年近く前に書かれたがじつに今日的な同書を下敷きにすることで、現代の『知的生産』の豊饒な可能性を考えてみたい。個人が、しらべ、読み、考え、発見し、何か新しい情報を創出し、それをひとにわかるかたちで書き、誰かに提出するまでの一連の行為を、梅棹は『知的生産』という言葉にこめた。ただ『頭がいい』とか『記憶力がいい』ということも生産を伴わなければ意味がなく、『本を読む』という高度に知的な行為も、アウトプットがないならば『知的消費』に過ぎず『知的生産』ではないのだと梅棹は言い切った。」(p146)
そういえば、文藝春秋2008年2月号。日垣隆氏の連載「新書の一点賭け」が最終回とあります。ちっとも読んでいなかったのですが、最終回というので読んでみました。
こうはじまっておりました。
「最終回にあたり、例外をお許しいただきたいと思います。」
うん。何か気になって読みたくなるでしょう。私がそうでした。ではひき続いて引用。
「最近刊行された『新書』のなかから選ぶという連載趣旨から一度だけ外れます。日本語で書かれた数ある新書のなかで、私自身にとって人生の転機と言えるほど影響を受けたものは、理科系では岡田節人(ときんど)『からだの設計図』、文科系では清水幾太郎『論文の書き方』です。基礎科学の奥深さに目覚め、『からだの設計図』を読んだ直後にTBSラジオから依頼のあったサイエンス番組を即座に引き受け、今も続いています。後者『論文の書き方』が出版されたのは半世紀も前ですが、初めて熟読したのは二十歳になったばかりの夏でした。ここで『論文』とは・・『知的散文』という程度の意味です。【文章を作るのは、思想を作ることであり、人間を作ることである】という一文に、まず衝撃を受けました。【天才は別であろうが、私たちの場合は、書くという働きを行った後に、漸く読むという働きが完了することが多いようである。】――この一文に接するまで、率直に自分はただの莫迦だと思っていました。他人が言ったり書いたりしていることを理解するのにとても時間がかかるうえ、何らかの形で書かなければ読んだことを消化できなかったからです。・・・もう一つ、今も座右の銘にしている言葉が、この本のなかにあります。【本当の批判というのは、一度は自分が渦に巻き込まれて、溺れそうになって、悪戦苦闘、そこから辛くも身を解き放つ場合に初めて成り立つのであろう。犬の遠吠えのような批判では、文章の勉強にはならない。まして、内容の勉強にはならない。】文筆業に就いてからおよそ二十年間、私が批判対象にしたものは、例外なく【一度は自分が渦に巻き込まれて、溺れそうになって、悪戦苦闘、そこから辛くも身を解き放】ったものばかりです。この本に、心から感謝しています。」(p390~391)
もどって、梅田氏が語る二冊目。渡部昇一の新書をとりあげた箇所。
「1976年のベストセラー『知的生活の方法』は、私の『生きるために水を飲むような読書』の最初の一冊目だった。この本が多くの人にどう受け止められたのかは知らないが、当時高校生だった私の心に強く残ったのは、『知的生活を送るにはお金がかかるものなのだな。働いて稼いでうんと資産を作らなくては、満足な知的生活を生涯送ることってできないんだな』という刷り込みであった。・・・・」(p158)本文はこれからが本題なのですが、ここまで引用すればよいでしょう。
月刊雑誌「WILL」2008年2月号は新春特大号と称して、「新春特別対談24ページ」が掲載されております。題して「渡部昇一vs日垣隆 史上最強の知的生活の方法」。ちょうど、梅田氏が刷り込まれた問題がテーマになって、話題が広がっておりました。
ということで、それを引用したくなるのですが、ここまで紹介すれば、それでもういいですよね。2008年を彩る新春対談にふさわしい読み甲斐があります。それは。新春の福袋ですので、開いて読んでのお楽しみ(笑)。