夜になると、
冬眠状態のコタツ族といたしましては、
本も読まずに、コタツで寝たりしております。
本を読まないと、読みたい本のことを考えます。
こうして書くと、まず読まずに終るような予感(笑)。
富士正晴編「伊東静雄研究」は
杉山平一からの視点で読み始めれば、私のまずは読み始めの切り口がつかめるような気がしました。それにしても、関西系の詩人たちが私には気になります。どうして惹かれるんだろう。杉山平一は詩を書いて映画評論もありますので、それも気になります。映像表現と言語表現との着眼点を、あるいは、竹中郁→杉山平一の流れで辿れるのじゃないか。音読ということでは、伊東静雄のことが気になります。伊東静雄の朗詠を聞いている方々の回想文を並べてみたいなあ。絵画的と音楽的との比較。ということで、伊東静雄と杉山平一とを読み比べられたらなあ。
今年は、新美南吉の詩から、長短の童話を読んでみたいなあ。
と思っているのですが・・・。
しぐさ。狐の習性などと童話との関係などが気になるのでした。
うん。こうして、冬眠コタツ族のつぶやきばかり。
まずは、コタツから立ち上がり「一月」に挨拶しなくっちゃ。
「歳月 人を待たず」。ということで、一月も残りすくなくなりました。
よいしょっと。
寒雀 新美南吉
雪隠(せっちん)にこごみて、
窓より見れば、
裏の雑木(ぞうき)に氷雨(ひさめ)けぶれり。
かかるとき、
睾丸に手をやりてみれば、
ちぢかまりて
梅干のごとし。
思念(おもい)またかくのごとくして、
寂しさしじに深まれり。
せめてはそこの寒雀、
やよ、ちちと鳴けかし。
ちちと鳴けかし。
新美南吉(1913~1943)は、29歳で亡くなっておりました。
冬眠状態のコタツ族といたしましては、
本も読まずに、コタツで寝たりしております。
本を読まないと、読みたい本のことを考えます。
こうして書くと、まず読まずに終るような予感(笑)。
富士正晴編「伊東静雄研究」は
杉山平一からの視点で読み始めれば、私のまずは読み始めの切り口がつかめるような気がしました。それにしても、関西系の詩人たちが私には気になります。どうして惹かれるんだろう。杉山平一は詩を書いて映画評論もありますので、それも気になります。映像表現と言語表現との着眼点を、あるいは、竹中郁→杉山平一の流れで辿れるのじゃないか。音読ということでは、伊東静雄のことが気になります。伊東静雄の朗詠を聞いている方々の回想文を並べてみたいなあ。絵画的と音楽的との比較。ということで、伊東静雄と杉山平一とを読み比べられたらなあ。
今年は、新美南吉の詩から、長短の童話を読んでみたいなあ。
と思っているのですが・・・。
しぐさ。狐の習性などと童話との関係などが気になるのでした。
うん。こうして、冬眠コタツ族のつぶやきばかり。
まずは、コタツから立ち上がり「一月」に挨拶しなくっちゃ。
「歳月 人を待たず」。ということで、一月も残りすくなくなりました。
よいしょっと。
寒雀 新美南吉
雪隠(せっちん)にこごみて、
窓より見れば、
裏の雑木(ぞうき)に氷雨(ひさめ)けぶれり。
かかるとき、
睾丸に手をやりてみれば、
ちぢかまりて
梅干のごとし。
思念(おもい)またかくのごとくして、
寂しさしじに深まれり。
せめてはそこの寒雀、
やよ、ちちと鳴けかし。
ちちと鳴けかし。
新美南吉(1913~1943)は、29歳で亡くなっておりました。