和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「庭と日本人」。

2008-01-28 | Weblog
自分のところには、縁側もないし庭もない。
ということで、「庭」には縁がないのですが、
上田篤著「庭と日本人」(新潮新書・2008年1月20日発行)を、たのしく読みました。それをどういえばよいのかなあ。
司馬遼太郎・河合隼雄というお二人が、私のなかで、つながったような気がしました(お二人の名前は新書にでてきません)。まだまだ、いろいろな人とのつながりが用意されており、読みすすみながら、わくわくするのでした。

「ではなぜ庭か?
人間に生きるエネルギーをあたえる空間は建物ではなく庭、すなわち自然だからだ。庭の木であり、草であり、花であり、苔であり、虫であり、鳥であり、わたる風であり、さしこむ日である。それらは自然であり、一休のいう虚空だ。その虚空のひとつに月がある。満月になればじっさいに月のエネルギーが、つまり月の引力が海の潮をよせてくる。名月の夜は大潮なのだ。そこで芭蕉は深川芭蕉庵で、月の庭をみてくちずさんだ。『名月や門にさしくる潮頭』明治の作家の幸田露伴はこの句を解説して『空には満々たる月があり、門には潮がみなぎり・・・東京湾の潮は、秋夜には七尺ふくれる』といっている。」(p134 )


昨年の夏から庭について、興味があったので、この新刊の新書に、その渇きを癒してもらえたのでした。よい本に出会えました。よかった。
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書斎。

2008-01-28 | Weblog
書斎ということで、

 雑誌「WILL」2008年2月号の渡部昇一・日垣隆対談。p42
 山野博史著「本は異なもの味なもの」(潮出版)。p24
 八木秀次監修「精撰尋常小学修身書」(小学館文庫)。p86
 
 最初の雑誌は、渡部昇一氏の書庫が語られております。
 つぎの本には、柳田國男の書斎についてのエピソード。
 最後の本には、本居宣長の「せいとん」が取り上げられてます。

 
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