和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

2つの「日本人の自然観」

2011-05-04 | 短文紹介
そういえば、
中公文庫の、清水幾太郎著「私の文章作法」。
その解説は、「狐」さんこと、山村修。
ちなみに、この文庫は1995年9月印刷発行。
そうなんだ、阪神・淡路大震災の年に出た文庫。
そんなことを、あらためて気づいたのでした。
ということで、2つの「日本人の自然観」。

ひとつは、寺田寅彦著「日本人の自然観」(岩波文庫「寺田寅彦随筆集第五巻」)
ひとつは、清水幾太郎「日本人の自然観」(講談社「清水幾太郎著作集11」)


以下の「狐」さんの解説から、
清水幾太郎著「私の文章作法」(中公文庫)の解説には、


「たとえば関東大震災を初めて思想史のサイドに取り込んだ清水幾太郎の論文『日本の自然観』が感動的なのは・・」

「『日本人の自然観』のように研ぎ澄ました批評性で震災を読みほぐす文章を書く一方、清水幾太郎は、自身の直接の罹災体験を語って、ほとんど身体感覚的な怖さをさえ誘発する文章も書いた。『日本人の自然観』が切実に胸に沁み、腹に応えるのは、自叙伝『私の心の遍歴』の一節に書かれた関東大震災の恐怖の直接性、肉体性に気づくときである。」

「大正12年、16歳の清水幾太郎が丸ごと呑み込んだその混沌を、昭和35年、52歳の清水幾太郎が『日本人の自然観』という震災論を書くことで固定化した。一つ一つ堅く手応えのある論を立て、鋭い明示性を帯びる表現を組み上げた。すなわち文章を書くとはどういうことか、清水幾太郎はそれを『私の心の遍歴』の一節と『日本人の自然観』とによって、力を窮めたダイナミックな形で見せているのである。」
コメント
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