新聞の歌壇・俳壇から。
読売歌壇5月2日の岡野弘彦選の最初の歌は、
九日ぶり救出されし少年は夜空の星の美しさ言う
国分寺市 森田進
選評】 祖母と共に九日目に発見され、救出された少年のなにげない一語が鮮烈だった。この天災によって、力ある言葉と、磨滅した型通りの言葉との差を切実に知らされた。
同じ日の読売俳壇。正木ゆう子選の三句目
ひざまづき瓦礫の若布拾ひけり 仙台市 松岡三男
選評】 こういうとき、寡黙な俳句の前に、読者も寡黙になる。何も説明がなくてもいい。ただ作者の近くで、読者もひざまづく。
ところで、今回私に気になったのは、空に関する歌と句でした。
以下それをランダムに列挙。
燕来ぬ地震に傾きたる家に 香取市 関沼男
これは、小澤實選の最初の句(5月2日読売俳壇)
選評】 地震によって傾いてしまった家にも、あやまたず燕が来てくれた。これから巣作りをするのだろうが、小さな身の燕に励まされる思いである。変わらないことは強い。
ラジオより買い出し情報鳥帰る 仙台市 斉藤栄子
これは、宇多喜代子選の最初の句(5月2日読売俳壇)
選評】 非常時の唯一の情報源はラジオ。そのラジオからもっとも身近な買い出し情報が聞こえてくる。忌まわしい現実とはかかわりなく季節は移ってゆく。
地震などなかったような青い空給水受けに自転車をこぐ
角田市 伊藤久美子
これは、俵万智選の6首目(5月2日読売歌壇)
父祖の地も学舎も北や鳥雲に 野田市 塩野谷慎吾
これは、西村和子選の一句目(4月24日毎日俳壇)
選評】 前書を要する句かもしれない。北へ帰る鳥に地震の被災地への思いを託した句。
何もかも失ってさえも顔あげて耐えて被災者生きぬかんとす
松江市 三好里美
これは、伊藤一彦選の第一首目(4月27日産経歌壇)
選評】 被災地以外の国民はテレビや新聞を通じて被災者の苦難の姿を知る。その姿に精いっぱいの応援を送りつつ、こちら側も励まされている。「顔あげて」が印象的。
詩もありました。産経新聞一面の「朝の詩(うた)」5月2日。
平成23年3月11日午後2時46分
この日まで一滴の水が
体の奥までしみわたる
喜びを知らなかった。
この時まで一個の
あめ玉を分けてなめる
幸せを知らなかった。
つぶれたわが家
地割れした道路から
真っ青な空を見上げる
北帰行の白鳥たちが
はげましの鳴き声
あげて飛んで行く。
福島県矢吹町 阿部正栄 (62)
(選者 新川和江)
司馬遼太郎が小学校の教科書のために書いた
「21世紀に生きる君たちへ」という文がありました。
朝日出版社からは「対訳」も出ております。
その対訳は、ドナルド・キーン監訳/ロバート・ミンツァー訳。
その司馬遼太郎ご自身による編集趣意書という短い文があります。
その後半に
「・・・・ひとりずつへの手紙として。こればかりは時世時節を超越した不変のものだということを書きました。日本だけでなく、アフリカのムラや、ニューヨークの街にいるこどもにも通じるか、おそらく通じる、と何度も自分に念を押しつつ書きました。」
その「21世紀に生きる君たちへ」の文章の最後の方には、
こんな箇所があったのでした。
「君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。」
読売歌壇5月2日の岡野弘彦選の最初の歌は、
九日ぶり救出されし少年は夜空の星の美しさ言う
国分寺市 森田進
選評】 祖母と共に九日目に発見され、救出された少年のなにげない一語が鮮烈だった。この天災によって、力ある言葉と、磨滅した型通りの言葉との差を切実に知らされた。
同じ日の読売俳壇。正木ゆう子選の三句目
ひざまづき瓦礫の若布拾ひけり 仙台市 松岡三男
選評】 こういうとき、寡黙な俳句の前に、読者も寡黙になる。何も説明がなくてもいい。ただ作者の近くで、読者もひざまづく。
ところで、今回私に気になったのは、空に関する歌と句でした。
以下それをランダムに列挙。
燕来ぬ地震に傾きたる家に 香取市 関沼男
これは、小澤實選の最初の句(5月2日読売俳壇)
選評】 地震によって傾いてしまった家にも、あやまたず燕が来てくれた。これから巣作りをするのだろうが、小さな身の燕に励まされる思いである。変わらないことは強い。
ラジオより買い出し情報鳥帰る 仙台市 斉藤栄子
これは、宇多喜代子選の最初の句(5月2日読売俳壇)
選評】 非常時の唯一の情報源はラジオ。そのラジオからもっとも身近な買い出し情報が聞こえてくる。忌まわしい現実とはかかわりなく季節は移ってゆく。
地震などなかったような青い空給水受けに自転車をこぐ
角田市 伊藤久美子
これは、俵万智選の6首目(5月2日読売歌壇)
父祖の地も学舎も北や鳥雲に 野田市 塩野谷慎吾
これは、西村和子選の一句目(4月24日毎日俳壇)
選評】 前書を要する句かもしれない。北へ帰る鳥に地震の被災地への思いを託した句。
何もかも失ってさえも顔あげて耐えて被災者生きぬかんとす
松江市 三好里美
これは、伊藤一彦選の第一首目(4月27日産経歌壇)
選評】 被災地以外の国民はテレビや新聞を通じて被災者の苦難の姿を知る。その姿に精いっぱいの応援を送りつつ、こちら側も励まされている。「顔あげて」が印象的。
詩もありました。産経新聞一面の「朝の詩(うた)」5月2日。
平成23年3月11日午後2時46分
この日まで一滴の水が
体の奥までしみわたる
喜びを知らなかった。
この時まで一個の
あめ玉を分けてなめる
幸せを知らなかった。
つぶれたわが家
地割れした道路から
真っ青な空を見上げる
北帰行の白鳥たちが
はげましの鳴き声
あげて飛んで行く。
福島県矢吹町 阿部正栄 (62)
(選者 新川和江)
司馬遼太郎が小学校の教科書のために書いた
「21世紀に生きる君たちへ」という文がありました。
朝日出版社からは「対訳」も出ております。
その対訳は、ドナルド・キーン監訳/ロバート・ミンツァー訳。
その司馬遼太郎ご自身による編集趣意書という短い文があります。
その後半に
「・・・・ひとりずつへの手紙として。こればかりは時世時節を超越した不変のものだということを書きました。日本だけでなく、アフリカのムラや、ニューヨークの街にいるこどもにも通じるか、おそらく通じる、と何度も自分に念を押しつつ書きました。」
その「21世紀に生きる君たちへ」の文章の最後の方には、
こんな箇所があったのでした。
「君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。」