和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

それだけですごい。

2011-05-09 | 短文紹介
大前研一著「JAPAN;The Road to Recovery  日本復興計画」(文藝春秋)を読みました。まえに週刊ポストの連載とかユーチューブでの録画を見ていたので、それなりにわかっているつもりでしたが、あらためて文字をたどることが出来て幸い。

原発に対する週刊ポストの冷静な対応は、おそらく大前研一氏の見識が反映されているということは、すこし読み込めばどなたにも納得できるところです。他の週刊誌の追随を許さぬものがありました。

その大前研一氏の文を読みながら、私に思い浮かんだのは、鼎談での言葉でした。
丸谷才一・谷沢永一・渡部昇一の3人(「丸谷才一と17人の90年代ジャーナリズム大批判」青土社)。そこで「優秀な人に相談するというのは、それだけですごい才能なんですね。」と語り合っている箇所があるのでした。ちょいとその前後を引用してみます。
それは「日本の『万葉集』研究の歴史を変えたのは、昭和六年の『万葉集総索引』」と谷沢氏が語る箇所でした。

丸谷】 あれはすばらしい。
谷沢】 これは正宗敦夫。白鳥の弟ですね、この人は、兄貴と違って地道な人で、何か文化的な事業をやりたいと、東京大学の橋本進吉のところに相談に行ったんです。そうしたら進吉さんが、「絶対に『万葉集』の総索引をやれ」といって、だいたいの基本方針を授けたらしい。だから橋本進吉指揮、正宗敦夫独奏というやつですね。
丸谷】 ・・・・優秀な人に相談するというのは、それだけですごい才能なんですね。
谷沢】 近代アカデミズム国文学の最高峰の橋本進吉に相談したということがあの事業を有効ならしめたんですね。あれで万葉はいっぺんに甦った。・・・・生涯もっともよく使ったのが、澤瀉久孝さんでした。『万葉集』のことは『万葉集』に語らしめるという内部証徴で全部やった。外から概念を持ってきたりしない。この澤瀉方式というのは、『万葉集総索引』があったからこそできたわけです。 (p89)


ところで、
菅首相は5月8日に
中部電力に浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)の全面的な運転停止を要請した。ということですが、これについて、さっそく大前研一氏の本で、確認してみます。

たとえば、
「民主党政権は、日本国内では2030年までに少なくとも14基以上の原子炉の新増設を行うことと、新興国を始めとする電力需要の多い国へ原子炉を輸出していくことを宣言していた・・・」(p29)

それでは、浜岡原子力発電所の問題はなにか?
たとえば、大前研一氏のいう「中間貯蔵施設の問題」が気になります。


「住民対策といえば、中間貯蔵施設の問題もある。建屋の中に使用済み核燃料のための巨大な冷却プールがあるのは日本独特の光景である。このことを初めて知って、驚いた方も多いのではないだろうか。停止中の4号炉で水素爆発が起こったのは、この使用済み燃料から発生した水素によるものだった。なぜ停止中なのに? と思われるかもしれないが、じつはほかに使用済み燃料の置き場がないからである。
中間貯蔵施設とは、使用済み燃料を一定期間過ぎたときに搬出して、再処理するまでの間(10年から15年)置いておくための施設。むつ小川原(青森県)の施設が去年の12月に完成する予定だったのだが、まだ着工したばかりで大幅に遅れている。だから、これができるまでは発電所施設の中に仮置きするしかない。これは全国どこの原発でも見られる状況だ。福島第一でいえば、燃料棒三千本ぐらいの集合体になるが、それだけの使用済み燃料が原子炉建屋内のプールに仮置きされているのだ。その他に共用プールがあって、そこにも五千本近い燃料集合体があると思われる。全部で福島第一だけでも一万本以上が貯まっている。それらのプールは、冷却水喪失事故などは前提としていない仮設のものだから、ほんの簡単な作りで、底のステンレスの厚さは五ミリ程度。ホテルのプールと変わらないぐらいのものだ。それが冷却水の循環が止まってしまったために水が蒸発し、ジルコニウムと接触した水蒸気から水素が出てきてしまった。4号機で水素爆発が起きたのも、その燃料貯蔵プールが非常に簡易な造りになっているせいかも知れない。水素が蒸発したというより、地震による損傷でどこかから水漏れがあり、干上がって燃料棒が露出した可能性もある。・・・」(p48~49)

大前氏の説明を踏まえるならば、停止だけでは、すまないのだけれど。
それにたいする菅首相の説明は、むろんないわけです。
現在の段階で、中部電力は停止要請を受諾するかどうかの判断を迫られており、ここでも悪者になるのは、中部電力ということになりそう。

うん。もうすこし引用。東電の体質を批判しながらも大前氏はこう語っておりました。


「国が推進すると決めたわけだ。だからこの間、原子力を電力会社が推進しようとしたことは一度もない。」(p104)
「心から原発をやりたいと思っている電力会社はない。過去もなかったし将来もない。なのに、行政や住民への接待漬けを伴う説得の仕事はすべて押し付けられてきた。対して原子力安全委員会や保安院は、そんな汚れ役をやるわけでもないのに、原子炉の設置許可権を盾にあれこれと電力会社をいじめてきた。中間貯蔵施設がないと燃料は燃やせませんよと泣きついても、そのうちに作ってやると言われ続けて数十年。最終的には拒否された高知県との交渉も、国がやってくれないから東電が行ったのだ。」(p105)

この推移からすると、浜岡原発は運転停止となるようなのですが、
施設内の使用済み燃料のための巨大プールの問題があることを、大前さんの本は示しております。


大前研一氏は、どういう方なのか。

「私は、ちょうど福島第一原発の炉が設計・建設・稼動を始める1960年代の後半に、マサチューセッツ工科大学で原子力工学を学び、博士号を取得後、1970年に日立製作所に入社、原子炉の設計に携わった。そうした背景があったために、地震直後から、福島原発が、今日判明するような事態にまでいきつくことがすぐにわかった。」と「はじめに」で書いております。

「私は、福島第一の原子炉は完全に冷やし、核廃棄物をきれいに除去したうえで、コンクリートによって永久封印をすべきで、それには三年から五年はかかると述べた。しかし政府幹部は、3月25日の段階でもまだ福島は石棺で覆うと言っていた。・・・・私は、今の状態のままコンクリートを打っては絶対にいけないと言ってきたのに、どういう学者がアドバイスしているのか、あまりにも知識がなさすぎる。」

この本は2011年3月13日・3月19日・3月27日・4月3日収録されたもので
YouTubuでご覧になれます。

もう一箇所。

「地震の翌日、1号機の建屋内の使用済み燃料プールのあたりで爆発が起きた。・・つづいて四日目から五日目にかけて、3号機、4号機でも水素爆発が起きた。後者の建屋は天井がすべてなくなった。
1号機について、原子力安全・保安院は格納容器内の圧力が8気圧になったと発表した。私は即座に、これは嘘だと思った。制御室のメーターは読めない・・私が『8気圧』という数値が嘘だと思ったのは、次の理由による。格納容器の耐圧性能は4気圧に設計されていて、1号機の場合は3.75気圧。実際に行われた破壊テストではその1.5倍で容器が破裂し、破片が150メートルほど先まで吹き飛んだとされている。つまり、6気圧くらいで破裂するはずなのに、8気圧だったと平気で言うのだ。・・この調子では、保安院や東電が発表する、温度など他の数値もまったくあてにならない。」(p81)
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