和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

あのエールが聞きたい。

2011-05-21 | 短文紹介
谷沢永一氏は3月8日死去。81歳。
渡部昇一氏の追悼文を産経新聞・VOICEとさまざま読むことができました。
そういえば、潮出版社から出ている谷沢永一氏の著作には、巻末月報という工夫がありました。
「完本 読書人の壺中」の巻末月報には司馬遼太郎の名前をさがせますし、
「読書人の浅酌」には、中村幸彦。
「読書人の蹣跚(まんさん)」には小西甚一。

たとえば、中村幸彦氏の書かれた巻末月報には

「・・筆者は彼と同僚として十数年間、同じ学校に勤めたのであるが、その間に、何と云うべきか、彼に一つの変った癖のあることに気付いた。平生話している時は格別何ともないが、酒が少し入って興に乗った時、教授会で、何か問題があって、やや長く意見を述べる時などに、彼の発言が、そのまま文章になっていることに気付いた。・・・」


う~ん。じつは、毎日新聞2011年4月10日(日曜日)の「悼む」に
森本靖一郎氏が谷沢氏の追悼文を書かれていて、これが忘れがたい。
その後半最後の箇所に、こんなエピソード。

「食通としても鳴らした。
飛び切りのてっさを一度に10枚ほど箸ですくうように食べる健啖家だった。
酒にも並々ならぬこだわりを持っておられたが、
それは学問や評論で見せる厳しい姿勢とは違って、
人間本来の欲望を朗らかに肯定するエピキュリアンとしての一面であった。
意外だったのは、服装だ。
着こなしがまことに不器用だった。
ネクタイ一つまともに結べない。
和服など着ると最悪だ。
全体がダラリとしてしまって奥様が
いつも帯から締め直していた。
思えば幾多の痛烈な論評も、
人間の欲に駆られた本性を知り抜き
そのいかんともしがたいことを認めることが根底にあった。
あの峻烈を極めたかのような言葉の連なりは、
人生に対する大いなるエールであった。
行先き不透明で脆弱な現代社会にこそ、
あのエールが聞きたい。」


ああ、そうだったんだ。
書庫にはいって着物姿で本を開いて笑っている。晩年の写真。
あれはきっと、奥さんが着せてから撮った一枚だったんだ。
コメント
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