産経新聞社から出た「東日本大震災1ヵ月の全記録 闘う日本」をめくっておりました。
そのp54~55に「保安院の人たちは逃げた」「地元にはそういう現実がある」という見出しの文。
「福島第一原発の復旧作業にあたっているのは、特殊な訓練を積んだ消防隊員や自衛隊だけではない。東京電力はもちろん、その『協力会社』の社員たちもいる。いわゆる下請けや孫請け会社の社員たちだ。その多くが地元住民であり、被災者でもある。・・・・・第一原発で保守の仕事を請け負う会社に勤める佐藤大輔(27)【仮名】は3月16日、同僚20人とマイクロバスに乗り第一原発へ向かった。元請けの協力会社から打診され『行きます』と志願した。5号機の冷温保持にかかわる作業だった。『原子炉が爆発したら終わりだが、招集がかかるうちは何とかなると判断した。ただ、中には会社員として行かざるを得ないという人もいて、車内の空気は沈んでいた。年長の作業員は『もう死ぬのか』と青い顔をしていた』
佐藤さんは、15日に2号機が爆発した際、現場から5キロ地点のオフサイトセンター(緊急時対策拠点)にいた経済産業省原子力安全・保安院の職員らが約50キロ離れた郡山市まで退避したことを挙げ、こう話した。
『誰かがやらなきゃならないことだから、やっている。ほかの専門的な仕事と職種が違うだけのことだと思う。保安院の人たちもそこに作業員がいる限り、とどまるのが仕事ではないか。専門家が住民より遠くへ逃げたら、誰を信じればいいのか』」
「かつて有数の出稼ぎ地帯だった福島県の太平洋『浜通り』地方。」という言葉も使われておりました。週刊新潮5月5・12日ゴールデンウイーク特大号には、その『浜通り』を掘り下げておりました。そのはじまりは(p35)
「 帰ってこい
帰ってこい
村の女は眠れない
夫が遠い飯場にいる女は眠れない
女が眠れない時代は許せない
許せない時代を許す心情の退廃はいっそう許せない
福島県出身の詩人・草野比佐男は『村の女は眠れない』でそう詠じた。事故を起こした福島第一原発、そして第二原発が立ち並ぶ『浜通り』地方は1960年代頃までこれといった産業に恵まれず、『福島のチベット』などと呼ばれてきた。冬場になると出稼ぎに繰り出すため、男たちは一斉に姿を消す。村に残された女たちの悲哀を詠ったのが、この詩である。だが70年代に入り、原発が次々と稼動し始めると町の風景は一変する。もたらされた巨額の原発マネーは町の財政を潤し、インフラが整備された。閑散としていた町には労働者が流れ込み、活況に沸いた。・・・・」
こうはじまる「原発10基で『7000億円』が福島に降ったカラクリ」という題の文。うん。草野比佐男の詩は、以前社会科の先生から聞いたことがありました。福島県出身の詩人だったのですね。
そのp54~55に「保安院の人たちは逃げた」「地元にはそういう現実がある」という見出しの文。
「福島第一原発の復旧作業にあたっているのは、特殊な訓練を積んだ消防隊員や自衛隊だけではない。東京電力はもちろん、その『協力会社』の社員たちもいる。いわゆる下請けや孫請け会社の社員たちだ。その多くが地元住民であり、被災者でもある。・・・・・第一原発で保守の仕事を請け負う会社に勤める佐藤大輔(27)【仮名】は3月16日、同僚20人とマイクロバスに乗り第一原発へ向かった。元請けの協力会社から打診され『行きます』と志願した。5号機の冷温保持にかかわる作業だった。『原子炉が爆発したら終わりだが、招集がかかるうちは何とかなると判断した。ただ、中には会社員として行かざるを得ないという人もいて、車内の空気は沈んでいた。年長の作業員は『もう死ぬのか』と青い顔をしていた』
佐藤さんは、15日に2号機が爆発した際、現場から5キロ地点のオフサイトセンター(緊急時対策拠点)にいた経済産業省原子力安全・保安院の職員らが約50キロ離れた郡山市まで退避したことを挙げ、こう話した。
『誰かがやらなきゃならないことだから、やっている。ほかの専門的な仕事と職種が違うだけのことだと思う。保安院の人たちもそこに作業員がいる限り、とどまるのが仕事ではないか。専門家が住民より遠くへ逃げたら、誰を信じればいいのか』」
「かつて有数の出稼ぎ地帯だった福島県の太平洋『浜通り』地方。」という言葉も使われておりました。週刊新潮5月5・12日ゴールデンウイーク特大号には、その『浜通り』を掘り下げておりました。そのはじまりは(p35)
「 帰ってこい
帰ってこい
村の女は眠れない
夫が遠い飯場にいる女は眠れない
女が眠れない時代は許せない
許せない時代を許す心情の退廃はいっそう許せない
福島県出身の詩人・草野比佐男は『村の女は眠れない』でそう詠じた。事故を起こした福島第一原発、そして第二原発が立ち並ぶ『浜通り』地方は1960年代頃までこれといった産業に恵まれず、『福島のチベット』などと呼ばれてきた。冬場になると出稼ぎに繰り出すため、男たちは一斉に姿を消す。村に残された女たちの悲哀を詠ったのが、この詩である。だが70年代に入り、原発が次々と稼動し始めると町の風景は一変する。もたらされた巨額の原発マネーは町の財政を潤し、インフラが整備された。閑散としていた町には労働者が流れ込み、活況に沸いた。・・・・」
こうはじまる「原発10基で『7000億円』が福島に降ったカラクリ」という題の文。うん。草野比佐男の詩は、以前社会科の先生から聞いたことがありました。福島県出身の詩人だったのですね。