和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

読んで得を。

2011-05-20 | 短文紹介
長谷川慶太郎・日下公人著「東日本大震災 大局を読む!」(李白社)を読んだら、そういえば、谷沢永一氏の短文を思い浮かべました。
ということで、その引用。
谷沢永一著「読書人の点燈」(潮出版社)に入っております。
題は「新聞書評に頼らないで、10冊」。
最初の掲載は、平成8年7月1日『文芸春秋』74巻9号に掲載とあります。
まず、10冊が並び、そのあとにこうはじまっておりました。

「選択の基準は簡単です。私がかねてより心から尊敬し、その人の述作は全部かならず目を通そうと決めている方々の著書のなかから、この二年以内に刊行されたものを選んでみました。・・・摘出(ピックアップ)の標準はただひとつ、読者が読んで得をされるであろうこと、すくなくとも私がそう信じた、というだけで他意はありません。・・・今年の二月までに刊行された七冊を御覧になれば、直ちにお気付きのように、これらはほとんど、新聞および週刊誌において十分には書評されておりません。最新刊の三冊のうちでも、『風塵抄二』を例外として、残りの二冊はおそらく書評にとりあげられないでしょう。期せずして私の贔屓(ひいき)とする著作家のほとんどは、現在の書評家陣営によって忌避されているのです。・・・」

そして、このあと、谷沢氏は指摘しておりました。

「・・・もし正味に血となり肉となる書物を探しだしたいお気持ちなら、現行の新聞や週刊誌、特に新聞の書評を頼りにされてはいけません。」

これは平成8年の文章。いまの新聞書評はどうなっているのでしょう?
新聞の書評にとりあげられない「書物の資格」を以下に指摘しているのですが、そのとりあげられない理由の第二番目が注目されます。ので、そこを引用。

「・・斬れば血の出るような現実社会における喫緊(きっきん)の問題とは完全に無縁であることです。それゆえ私がここに挙げた述作のほとんどについて眉を顰めながら遠ざけられる結果となったのです。これらの書物は多かれ少なかれ現実問題をめぐっての突っこんだ観察です。つまり事態の意味するところの枢要を鋭く解剖しています。当然のこと大胆な未来予測を含み、ときには常識に反する積極的な提案に及ぶわけです。考えてみれば、なんとも恐怖(おっかな)い本ではありませんか。こういう書物を月旦するためには、まず、政治経済と国際関係をめぐっての問題意識が欠かせません。次いでは、著者の論調に対して評者は自分独自の見識をもって対決し、示されている立論の当否について責任ある判断をくださねばなりません。そんな辛労(しんど)い危険なことに誰が進んで手をだすものですか。いずれにせよ労多くして功すくない難儀な方向は御免でしょう。したがって、書評欄の多くは、天下国家の問題に接触しない趣味的な本ばかり並ぶ結果となります。思えば人情の然らしむるところではありませんか。・・・・結局のところ、読むに足る本は自分で探すか、信頼すべき友人の感想を徴するしか、ほかに便利な方法は見当たらないと思います。
新聞とテレビは常識の世界です。そして常識は時として嘘をつきます。・・・・」

ちなみに、谷沢永一氏の「新聞書評に頼らないで、10冊」の10冊には日下公人と長谷川慶太郎の名前がありました。
さて平成23年のいま、新聞の書評欄に、長谷川慶太郎・日下公人のこの本が、とりあげられることがあるのかどうか。とりあげられるとしたら、どのような書評となるのか?

それはそうと、日下・長谷川のこの本から、一箇所引用。


長谷川】 菅首相は3月29日に、TPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加について、予定していた6月の結論取りまとめを先送りする考えを表明した。震災と原発事故への対応で忙しいという理由からだが、それは嘘だ。TPP担当の役人は経済産業省にいるので、その役人を使いこなせばいいだけである。けれども、菅はその役人の使い方を知らない。つまり、役人にどう指示し、どう動かしたらどんな結果が出るかということがわからない。菅首相は政治主導で官僚を操縦することができない政治家なのである。まあ、あの人はもともと市民運動の出身だから最初から政治主導をやる気がないのだろう。もともと市民運動というのは政治主導を潰すための運動といえる。(p80)
コメント
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