毎日歌壇5月8日の伊藤一彦選の3首目でした。
投函にくればポストに紙貼られ塞がれてをり
地震(なゐ)のためにと
横手市 浦部昭人
思い浮かんだのは、「1995年1月・神戸」(みすず書房)。
その中井久夫氏の「災害がほんとうに襲った時」のこの箇所でした。
「・・・・郵政の末端は非常な努力で震災の翌々日には私の家にも配達を実施してくれた。特定郵便局の老局長さんみずからのバイク姿の御出馬であった。普通ハガキで四日から七日、速達はずっと早かった。郵便小包も次々に配達された。私も20年前に診てなお入院中の方から一万円、10年前に一度相談に乗った方から多量の鉱泉水などを頂いて驚いた。他にもかつての患者さんからの物資、見舞い、手紙がもっとも多かった。しかも年賀状を欠礼してしまった前任地、前々任地からの御贈り物もあった。これらの意義をさとって配達された郵政省の職員に敬意を表したい。
地震当日が私どもの地区の荒ごみ収集日であった。さすがに当日は清掃局の収集車が来なかったが二日遅れできちんと収集され、次回からは定時に収集が行われた。驚くべきことである。・・・それほど、私のあたりは被害が少なかった。不条理な話であるが、ふだんは意識しない地盤と家屋構造と破断の走り方とによって明暗は大きく分かれたのである。」
明暗がわかれるといえば、
3月23日読売新聞に山崎正和氏が「震災克服への展望」という談話をのせておりました。
その最後に、こんな箇所があります。
「阪神大震災で被災した16年前、私は『おにぎりも、文化も』を合言葉に文化復興に奔走した。発生からほどなくして、荷物をまとめ兵庫県西宮市の自宅から京都方面に避難したのだが、(西宮・尼崎市境の)武庫川を渡った途端、被災地とは別世界が広がっていた。それを思い起こすと、今回の大震災は被害がけた違いだ。文化を含めて人々が心理的安定を取り戻し、できるところから平常心をよみがえらせていくことは大切ではあるが、その事を口にするにはもう少し時間がかかるかもしれない。」
ちなみに、山崎氏の談話のはじめのほうには、こうありました。
「戦後最大の国難というほかない。・・・・再び戦後復興に取り組むくらいの覚悟が必要だ。救いは全土が焼け野原だった戦後に比べて、今回は東京以西のインフラ(社会基盤)がほぼ無事なことだ。日本人は『災害復興型』の国民だと思う。太平の時代、文化は爛熟するが、元気に乏しい。だが、いざ国難に直面すると、奮起する国民性なのだ。今回も、日頃はとかく『内向き』と評される若い世代が頑張ってくれるのではないか。そう考えるのは、私もまた、災害復興型の心理状態にあるのかもしれない。」
さて、もう五月になっておりました。
今日「文藝春秋」6月号が発売。
巻頭随筆は立花隆氏。そこに
「・・大震災以後しばらく、TVから商業コマーシャルがいっせいに消え、その代りうるさいほどに『日本は強い国』『みんな一緒』『絶対乗りこえられる』を強調するACジャパンの公共コマーシャルが流された。あの連呼を聞いていると、私のような世代は、戦争時代の『国民精神総動員運動』を思い出してしまう。何か危ない時代に突入しつつあるような気がして、逆にこの道を行くと国家的苦難を絶対乗りこえられないのではないかという気がしてきてしまう。」
かたや、戦後復興型。
こなた、戦争時代の思い出。
ところで、「塞がれたポスト」
あれから、投函できたのでしょうか。
投函にくればポストに紙貼られ塞がれてをり
地震(なゐ)のためにと
横手市 浦部昭人
思い浮かんだのは、「1995年1月・神戸」(みすず書房)。
その中井久夫氏の「災害がほんとうに襲った時」のこの箇所でした。
「・・・・郵政の末端は非常な努力で震災の翌々日には私の家にも配達を実施してくれた。特定郵便局の老局長さんみずからのバイク姿の御出馬であった。普通ハガキで四日から七日、速達はずっと早かった。郵便小包も次々に配達された。私も20年前に診てなお入院中の方から一万円、10年前に一度相談に乗った方から多量の鉱泉水などを頂いて驚いた。他にもかつての患者さんからの物資、見舞い、手紙がもっとも多かった。しかも年賀状を欠礼してしまった前任地、前々任地からの御贈り物もあった。これらの意義をさとって配達された郵政省の職員に敬意を表したい。
地震当日が私どもの地区の荒ごみ収集日であった。さすがに当日は清掃局の収集車が来なかったが二日遅れできちんと収集され、次回からは定時に収集が行われた。驚くべきことである。・・・それほど、私のあたりは被害が少なかった。不条理な話であるが、ふだんは意識しない地盤と家屋構造と破断の走り方とによって明暗は大きく分かれたのである。」
明暗がわかれるといえば、
3月23日読売新聞に山崎正和氏が「震災克服への展望」という談話をのせておりました。
その最後に、こんな箇所があります。
「阪神大震災で被災した16年前、私は『おにぎりも、文化も』を合言葉に文化復興に奔走した。発生からほどなくして、荷物をまとめ兵庫県西宮市の自宅から京都方面に避難したのだが、(西宮・尼崎市境の)武庫川を渡った途端、被災地とは別世界が広がっていた。それを思い起こすと、今回の大震災は被害がけた違いだ。文化を含めて人々が心理的安定を取り戻し、できるところから平常心をよみがえらせていくことは大切ではあるが、その事を口にするにはもう少し時間がかかるかもしれない。」
ちなみに、山崎氏の談話のはじめのほうには、こうありました。
「戦後最大の国難というほかない。・・・・再び戦後復興に取り組むくらいの覚悟が必要だ。救いは全土が焼け野原だった戦後に比べて、今回は東京以西のインフラ(社会基盤)がほぼ無事なことだ。日本人は『災害復興型』の国民だと思う。太平の時代、文化は爛熟するが、元気に乏しい。だが、いざ国難に直面すると、奮起する国民性なのだ。今回も、日頃はとかく『内向き』と評される若い世代が頑張ってくれるのではないか。そう考えるのは、私もまた、災害復興型の心理状態にあるのかもしれない。」
さて、もう五月になっておりました。
今日「文藝春秋」6月号が発売。
巻頭随筆は立花隆氏。そこに
「・・大震災以後しばらく、TVから商業コマーシャルがいっせいに消え、その代りうるさいほどに『日本は強い国』『みんな一緒』『絶対乗りこえられる』を強調するACジャパンの公共コマーシャルが流された。あの連呼を聞いていると、私のような世代は、戦争時代の『国民精神総動員運動』を思い出してしまう。何か危ない時代に突入しつつあるような気がして、逆にこの道を行くと国家的苦難を絶対乗りこえられないのではないかという気がしてきてしまう。」
かたや、戦後復興型。
こなた、戦争時代の思い出。
ところで、「塞がれたポスト」
あれから、投函できたのでしょうか。