和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

幾太郎の震災と終戦。

2011-05-30 | 短文紹介
清水幾太郎著「私の文章作法」(中公文庫)の解説(狐)で、清水幾太郎と関東大震災についての指摘が光っておりました。教えられたのでした。けれども、清水幾太郎の「日本人の自然観」は、大物を釣り逃がした観があり、いただけませんでした。ということで、そのままになっていたのですが、ここのところ、読売新聞の月曜日「今に問う言葉」欄に竹内洋氏が清水幾太郎と地震についてを数回に渡って取り上げております。私が見たのは5月16日・23日・30日の3回。16日は、「見落された変数」(中央公論1970年3月号)からの言葉「大地震によって脅かされるという運命を担っている民族なのであります」をとりあげて解説しておりました。23日は1960年の「日本人の自然観」より引用して解説。そして今日の5月30日には清水幾太郎著「日本の運命とともに」に入っている「巣立ち」(立教女学院生徒会)からの引用です。
これについては、ちょっと詳しく引用してゆきます。
まずは「今に問う言葉」として「みなさんは新しい不思議な元気と勇気とを感じてゐるのではないでせうか」を見出しにとりあげて、そのあとに竹内洋氏がその内容を解説しております。よいと思うので引用させてください。

「清水の家も商売も関東大震災で壊滅した。父は急に老人のようになってしまった。清水は、旧制中学校生(16歳)だったが、長男で、父母、弟妹を養う役目を背負った。焼け跡にバラックをつくり、そこで商売をはじめ学校に通いだした。新しい力が湧いてきた。自分が別人のようになったことを感じた。それから22年後、今度は敗戦で東京は焼け野原となった。清水は関東大震災のときの自分と同じ年頃の敗戦後の生徒を前にしてこういった。自分は、敗戦で、関東大震災のときの父や母のように力を落としていますが、みなさんのほうは若いときの私のように不思議な力を感じているのではないか、と。・・・・皆さんの若さからくる不思議な新しい力でこの不幸な日本が再建されることのために働いてほしいと結んだ。清水にこう励まされた世代こそ戦後の復興を担った人々だった。」

うん。さっそく清水幾太郎著「日本の運命とともに」(河出書房)をネット古本屋で注文してみました。生徒を前に語られたであろう全文を読んでみたいじゃありませんか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする