和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

時流に阿(おもね)らず。

2015-08-10 | 道しるべ
渡部昇一氏の新刊2冊。
「朝日新聞と私の40年戦争」(PHP)
「戦後七十年の真実」(育鵬社)
そのどちらにも、
小泉信三氏が登場します。
ちなみに、
久保田万太郎を読んでいても
小泉信三氏が登場します(笑)。

ということで、
すこし引用を重ねることに。

まずは、
伊藤正雄著「福澤諭吉論考」にある
「小泉信三博士の福沢論(1966)」。
伊藤正雄氏は、こう指摘しておりました。


「広汎な博士の全著作の中で、福沢論が占める率は
さまで大きいものではないであろう。しかしながら、
近年博士ぐらゐ頻繁に且つ熱心に福沢諭吉を語った
学者はおそらく類がなかったと思ふ。けだし天下に
誇るべき慶應義塾の伝統、福沢精神の発揚を以て
終生の使命とされてゐたのであろう。福沢先生自身、
『大切な問題は、世間に一度や二度訴へただけでは
駄目だ。何度でも繰返せ』と言はれたといふ。
事実『時事新報』の論説などを見ても、重大な主張は
再三再四反復された跡が著しい。
博士の福沢論もまた同様の観があった。
その福沢論は、専門の福沢学者のやうに、新資料の
発見や、事実の考証に力を注ぐよりも、
『学問のすすめ』『文明論之概略』『福翁自伝』
以下、主要な文献に基づいて、この巨人の真面目を
正しく国民に伝へ、福沢精神の骨髄を以て日本再建の
指針たらしめようとする道義的、経世的気概に満ちて
ゐたやうに思はれる。・・・・・
直接福沢諭吉を説かなくても、その精神に立脚した
文章はもとより少なしとしない。
社会思想の問題でも、道徳問題でも、防衛問題でも、
はたまた国語国字問題でも、あへて時流に阿らず、
あくまで自主的な中正の態度と、健全な伝統主義とを
貫かれたのは、やはり福沢先生の気骨と良識、および
燃えるやうな祖国愛の精神が血肉となってゐたからであろう。」
(p551)


小泉信三氏が登場するのは、
「戦後七十年の真実」ではp49。
「朝日新聞と私の40年戦争」ではp63。

ここでは、
「朝日新聞と私の40年戦争」から引用



「『朝日新聞』の虚構報道でデッチ上げられた
『渡部昇一はヒトラー礼賛者』であるという
とんでもない烙印は容易に消えず、私はしばらく
『全体主義の手先』といった扱いを受けることに
なりました。それでも、心ある人たちは
『検閲機関としての「朝日新聞」』を読んで、
私に賛同し応援してくれました。ですから、
私に反駁の機会を与えてくれた安藤氏には
本当に感謝しています。
安藤氏は小泉信三先生の信奉者です。
私も小泉信三先生をたいへん尊敬しています。
とくにサンフランシスコ条約を前に、
『単独講和か全面講和か』という議論で日本中が
沸騰していたとき、小泉先生が世に蔓延る
全面講和論者に論戦を挑んだ論文を読んで、
学生だった私は非常に感激しました。小泉先生は、
『単独講和』とは西側陣営との『多数講和』であり、
『全面講和』はその多数にソ連と僅かな衛星国を
加えたものにすぎない、そのような全面講和に執着して、
日本が占領されたままでいいのかと、
毅然として多数講和を主張されました。
当時、有名な学者で全面講和に反対した人は、
小泉先生以外にはほとんどおられませんでした。
以来、私は小泉先生を尊敬しており、
先生について何度か書いたことがありますし、
安藤氏と語り合ったこともあります。そして同じく
小泉信三先生を尊敬する者として、安藤氏は
私を思想的に近い人間であると見做してくれた
のではないかと思っています。」



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