本屋で新書を買う。
百田尚樹著「大放言」(新潮新書)。
2015年8月20日発行
2015年8月25日2刷とあります。
サイン入りなので買う(笑)。
最後の番外編に
2015年6月25日の自民党若手勉強会での「懇話会」
について書いておりました。
そこに左翼系新聞の相関図として、
こうあります。
「今回の炎上はかなり大規模なもので、
朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、中日新聞
沖縄タイムス、琉球新報、北海道新聞といった
左翼系新聞が軒並み一面トップ記事にし、
その後、他の地方紙も追随して一面で扱い、
またNHKや民放テレビ局各社も
ニュースやワイドショーで取り扱うほどの
騒ぎとなったので・・・書き加えることにした。」
(p224)
「朝日新聞をはじめとするいくつかの新聞には
『絶対につぶさないといけない』と発言したと書かれた。
だが私は『絶対に』などという言葉は使っていないし、
断言もしていない。朝日新聞の英字ニュースはもっと陰湿で、
『あらゆる手段を使って廃刊にしなければならない』と
発言したと書かれた。明らかに悪意に満ちた捏造である。」
(p228)
「もともと取材お断りの席での発言を盗み聞きして紙面に
載せるだけでもひどいのに、その場にいた誰が聞いても
わかる冗談を『暴言』に仕立てて記事にするのは、
あまりにやり方が汚い。」(p229)
「私に対して最も強い怒りを表明したのが、
沖縄の『琉球新報』と『沖縄タイムス』だ。
二紙は私の発言の翌日、共同の抗議声明文を発表した。
ところが、実は二つの新聞社は私の発言を直接聞いていない。
つまり他のメディアからの伝聞記事で私を断罪したわけだ。
それでも報道機関なのかと言いたい。・・」
(p231~232)
はい。どれも、
テレビのニュースやワイドショーでは、聞けないなあ。
現代は「あまりにやり方が汚い」新聞報道が
まかり通る、安易な伝聞記事の恐ろしさ。
というか、その伝聞を刷り込まれる読者の哀しさ。
それはそうと、百田氏はどのような人なのかも
この新書で知りました。
あとがきに
「私の放送作家人生の前半は『クビ』の歴史でもある。」
「家内の言葉を見たときは、参ったなあ、と思った。
そこにはこう書かれていた。
『この人、叩かれることのストレスよりも、
言いたいことを黙ったままにしておくストレスの方が大きいから』
さすが三十年以上も連れ添った嫁はんである。」
(p223)
「私は五十歳までテレビの業界にいた(今でもいる)。」(p112)
「テレビは活字と違って、表現の自由がかなり厳しい。
活字ではOKになる言葉でもテレビではNGになるケースも多い。」
(p159)
ところで、
本にまつわる話もいろいろ出てきて興味深い。
「たまに地方で講演すると、控え室で地元の名士や
有力者に挨拶されることがある。
『私は百田先生の御本の大ファンです』
嬉しくなって握手する手にも思わず力が入る。
が、その力が抜けてしまうときがある。
『私はこう見えても読書家でしてね、
先生の御本もいつも図書館で予約して
一番に読ませていただいております』
なるほど、読書家ね、と私は心の中でため息をつく。」
(p101)
ああ、私なら『古本で買います』と、
つい、言ってしまいそうな気がする(笑)。
自己啓発本に関する箇所もハッとしました。
「私が働くテレビ局のアルバイトの男子学生が
休憩時間に本を読んでいた。それはいわゆる
自己啓発本といわれる本だった。・・・
私が『面白い?』と訊くと、彼は
『面白いというよりも、ためになります』と答えた。」
(p153)
「こんな話を某一流商社に勤める友人にすると、
彼はにやりと笑ってこう言った。
『うちの会社の若い社員にも、自己啓発本を
習慣的に買う人間が少なくない。そういう奴の
本棚には自己啓発本がずらりと並んでいる』
『自己啓発本マニアか』
『でも、書いていることは、みんな同じようなこと
なんやろう』
『そう。表現を変えているだけで、中身はだいたい同じ』
『なんで、同じ本を買うんや?』
すると、友人は意地悪そうな顔をして言った。
『お前も、若い頃は毛生え薬を何種類も買っていたやろ』
私は思わず、なるほど!と唸った。」
(p155~156)
「友人はまた面白いことを言った。
『俺は思うんだが、自己啓発本は栄養ドリンクのような
ものじゃないかと』
『ほう、それは?』
『飲んだあとは、気分がすっきりしてやる気も起こる気がする。
たぶん、プラシーボ効果やろうけど、その効果も三日ぐらいで
消える。で、また新しいドリンク剤を買う』
『そうすると、そのドリンク剤、中毒性があるんやないか』
私の言葉に友人は大きくうなずいた。
『そのとおり。しばらく飲まないと禁断症状が出てきて、
新しいのを飲みたくなる。だから書店にあれだけ
自己啓発本が並ぶんや』
大いに納得の一言であった。」(p158)
う~ん。さしあたりこの新書は
「大放言」啓発本(笑)。
百田尚樹著「大放言」(新潮新書)。
2015年8月20日発行
2015年8月25日2刷とあります。
サイン入りなので買う(笑)。
最後の番外編に
2015年6月25日の自民党若手勉強会での「懇話会」
について書いておりました。
そこに左翼系新聞の相関図として、
こうあります。
「今回の炎上はかなり大規模なもので、
朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、中日新聞
沖縄タイムス、琉球新報、北海道新聞といった
左翼系新聞が軒並み一面トップ記事にし、
その後、他の地方紙も追随して一面で扱い、
またNHKや民放テレビ局各社も
ニュースやワイドショーで取り扱うほどの
騒ぎとなったので・・・書き加えることにした。」
(p224)
「朝日新聞をはじめとするいくつかの新聞には
『絶対につぶさないといけない』と発言したと書かれた。
だが私は『絶対に』などという言葉は使っていないし、
断言もしていない。朝日新聞の英字ニュースはもっと陰湿で、
『あらゆる手段を使って廃刊にしなければならない』と
発言したと書かれた。明らかに悪意に満ちた捏造である。」
(p228)
「もともと取材お断りの席での発言を盗み聞きして紙面に
載せるだけでもひどいのに、その場にいた誰が聞いても
わかる冗談を『暴言』に仕立てて記事にするのは、
あまりにやり方が汚い。」(p229)
「私に対して最も強い怒りを表明したのが、
沖縄の『琉球新報』と『沖縄タイムス』だ。
二紙は私の発言の翌日、共同の抗議声明文を発表した。
ところが、実は二つの新聞社は私の発言を直接聞いていない。
つまり他のメディアからの伝聞記事で私を断罪したわけだ。
それでも報道機関なのかと言いたい。・・」
(p231~232)
はい。どれも、
テレビのニュースやワイドショーでは、聞けないなあ。
現代は「あまりにやり方が汚い」新聞報道が
まかり通る、安易な伝聞記事の恐ろしさ。
というか、その伝聞を刷り込まれる読者の哀しさ。
それはそうと、百田氏はどのような人なのかも
この新書で知りました。
あとがきに
「私の放送作家人生の前半は『クビ』の歴史でもある。」
「家内の言葉を見たときは、参ったなあ、と思った。
そこにはこう書かれていた。
『この人、叩かれることのストレスよりも、
言いたいことを黙ったままにしておくストレスの方が大きいから』
さすが三十年以上も連れ添った嫁はんである。」
(p223)
「私は五十歳までテレビの業界にいた(今でもいる)。」(p112)
「テレビは活字と違って、表現の自由がかなり厳しい。
活字ではOKになる言葉でもテレビではNGになるケースも多い。」
(p159)
ところで、
本にまつわる話もいろいろ出てきて興味深い。
「たまに地方で講演すると、控え室で地元の名士や
有力者に挨拶されることがある。
『私は百田先生の御本の大ファンです』
嬉しくなって握手する手にも思わず力が入る。
が、その力が抜けてしまうときがある。
『私はこう見えても読書家でしてね、
先生の御本もいつも図書館で予約して
一番に読ませていただいております』
なるほど、読書家ね、と私は心の中でため息をつく。」
(p101)
ああ、私なら『古本で買います』と、
つい、言ってしまいそうな気がする(笑)。
自己啓発本に関する箇所もハッとしました。
「私が働くテレビ局のアルバイトの男子学生が
休憩時間に本を読んでいた。それはいわゆる
自己啓発本といわれる本だった。・・・
私が『面白い?』と訊くと、彼は
『面白いというよりも、ためになります』と答えた。」
(p153)
「こんな話を某一流商社に勤める友人にすると、
彼はにやりと笑ってこう言った。
『うちの会社の若い社員にも、自己啓発本を
習慣的に買う人間が少なくない。そういう奴の
本棚には自己啓発本がずらりと並んでいる』
『自己啓発本マニアか』
『でも、書いていることは、みんな同じようなこと
なんやろう』
『そう。表現を変えているだけで、中身はだいたい同じ』
『なんで、同じ本を買うんや?』
すると、友人は意地悪そうな顔をして言った。
『お前も、若い頃は毛生え薬を何種類も買っていたやろ』
私は思わず、なるほど!と唸った。」
(p155~156)
「友人はまた面白いことを言った。
『俺は思うんだが、自己啓発本は栄養ドリンクのような
ものじゃないかと』
『ほう、それは?』
『飲んだあとは、気分がすっきりしてやる気も起こる気がする。
たぶん、プラシーボ効果やろうけど、その効果も三日ぐらいで
消える。で、また新しいドリンク剤を買う』
『そうすると、そのドリンク剤、中毒性があるんやないか』
私の言葉に友人は大きくうなずいた。
『そのとおり。しばらく飲まないと禁断症状が出てきて、
新しいのを飲みたくなる。だから書店にあれだけ
自己啓発本が並ぶんや』
大いに納得の一言であった。」(p158)
う~ん。さしあたりこの新書は
「大放言」啓発本(笑)。