供養塔。
2015-08-21 | 地域
防災士の講習を受けたことがありました。
それでもって、地域の震災記念碑を
碑文にそって朗読したことがあります。
それでなのか。
取材があるので来てほしいと、支所から電話。
何でも本日の午後3時頃、供養塔の前で、
簡単な説明をすることに。
区長さんが早くこられて、
周りの雑草を刈っておられる。
供養塔は、明治31年3月に建立されたもの。
明応7年の大地震大海嘯から、
天正・寛永・慶長・元禄・安政と記され、
明治10年の西南の役・明治27年征清役
最後は明治29年6月15日三陸地震大海嘯
とあり、
明応から明治29年までの間の天変地異による
災難、または国難によって命を失われた人々への
御霊を慰めるための供養塔。
興味深いのは、
明治29年6月15日の三陸地震大海嘯から
三年後の明治31年3月にこの供養塔が建立されていること。
現在でいえば、
東日本大震災の三年後に
東日本ではない地元に供養塔が建てられた
という経緯。
もちろん現在は、供養塔は建てられませんでしたが、
東日本大震災の4年後に、取材がこられた(笑)。
ということで、私もたいへん勉強させられました。
それでもって、地域の震災記念碑を
碑文にそって朗読したことがあります。
それでなのか。
取材があるので来てほしいと、支所から電話。
何でも本日の午後3時頃、供養塔の前で、
簡単な説明をすることに。
区長さんが早くこられて、
周りの雑草を刈っておられる。
供養塔は、明治31年3月に建立されたもの。
明応7年の大地震大海嘯から、
天正・寛永・慶長・元禄・安政と記され、
明治10年の西南の役・明治27年征清役
最後は明治29年6月15日三陸地震大海嘯
とあり、
明応から明治29年までの間の天変地異による
災難、または国難によって命を失われた人々への
御霊を慰めるための供養塔。
興味深いのは、
明治29年6月15日の三陸地震大海嘯から
三年後の明治31年3月にこの供養塔が建立されていること。
現在でいえば、
東日本大震災の三年後に
東日本ではない地元に供養塔が建てられた
という経緯。
もちろん現在は、供養塔は建てられませんでしたが、
東日本大震災の4年後に、取材がこられた(笑)。
ということで、私もたいへん勉強させられました。