加藤秀俊著「メディアの展開」が楽しい。
うん。どの章から読んでも味わいを楽しめる。
はじまりの
「はしがき――わが『徳川四百年史観』」は
「日本と日本の歴史について、わたしにいささかの
基礎教養があるとしたら、それはおおむね落語に
はじまる、といっていいのではないか、とおもっている。」
とはじめておりました。
落語といえば、「熊さん・八っあん」ですが、
第七章「江戸の『社交力』――自由な『連中』」
に、個人的けいけんとしてハンドル・ネームの
ことを語られて興味深い(笑)。
「それは現代のわれわれがネット上で『ハンドル・ネーム』
を勝手に名乗って『別人格』になるのと似ている。
まったくの個人的経験だが、わたしなどもパソコン通信の
初期のころ、ネット上で知り合ったひとびとと
『現実世界』での『オフ会』というのになんべんも
出席したことがある。あつまるのはすくないときで
数人、多くても二十人ほどだが、新聞記者、学生、大学教授、
フリーター、老若男女、みんな『ハンドル』で呼び合う。
『熊さん』『クルミちゃん』『坊主』といったふうに。
何年もつきあっているうちに本名や職業もわかってくるが、
ふしぎなことに会話はつねに『ハンドル』である。
相手が某大学の白髪の老教授であることを重々承知の
うえで『八っあん』などと仮想現実での名前で会話が
すすむ。むかし、はじめてオフ会に出席したときには
すくなからず戸惑ったが、そういう作法に慣れてしまうと
『仮想現実』のおもしろさが理解できるようになってくる。
おそらく狂歌の仲間たちも『木網さん』『朱楽さん』と
『ハンドル』でおたがいに声をかけながら作品の合評を
たのしんでいたのではあるまいか。
さらにもうひとつ書きくわえておくと、
このサークルには年齢階梯の序列もなかった。・・」
(p306~307)
うん。まだ数章しか読んでいないのですが、
もったいなくて、先にすすめない私がおります(笑)。
うん。どの章から読んでも味わいを楽しめる。
はじまりの
「はしがき――わが『徳川四百年史観』」は
「日本と日本の歴史について、わたしにいささかの
基礎教養があるとしたら、それはおおむね落語に
はじまる、といっていいのではないか、とおもっている。」
とはじめておりました。
落語といえば、「熊さん・八っあん」ですが、
第七章「江戸の『社交力』――自由な『連中』」
に、個人的けいけんとしてハンドル・ネームの
ことを語られて興味深い(笑)。
「それは現代のわれわれがネット上で『ハンドル・ネーム』
を勝手に名乗って『別人格』になるのと似ている。
まったくの個人的経験だが、わたしなどもパソコン通信の
初期のころ、ネット上で知り合ったひとびとと
『現実世界』での『オフ会』というのになんべんも
出席したことがある。あつまるのはすくないときで
数人、多くても二十人ほどだが、新聞記者、学生、大学教授、
フリーター、老若男女、みんな『ハンドル』で呼び合う。
『熊さん』『クルミちゃん』『坊主』といったふうに。
何年もつきあっているうちに本名や職業もわかってくるが、
ふしぎなことに会話はつねに『ハンドル』である。
相手が某大学の白髪の老教授であることを重々承知の
うえで『八っあん』などと仮想現実での名前で会話が
すすむ。むかし、はじめてオフ会に出席したときには
すくなからず戸惑ったが、そういう作法に慣れてしまうと
『仮想現実』のおもしろさが理解できるようになってくる。
おそらく狂歌の仲間たちも『木網さん』『朱楽さん』と
『ハンドル』でおたがいに声をかけながら作品の合評を
たのしんでいたのではあるまいか。
さらにもうひとつ書きくわえておくと、
このサークルには年齢階梯の序列もなかった。・・」
(p306~307)
うん。まだ数章しか読んでいないのですが、
もったいなくて、先にすすめない私がおります(笑)。