和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

見栄っぱりの、照れ性で。

2015-08-04 | 短文紹介
古本を購入。
大村彦次郎著「万太郎松太郎正太郎」
副題が「東京生まれの文人たち」(筑摩書房)


佐藤書店(北九州市門司区栄町)
500円+送料350円=850円


さっそく久保田万太郎の箇所をひらく。

「同じ遅筆でも、葛西善蔵は酒と結核で仆れたが、
万太郎はしぶとく生き抜いた。彼の作品には、
しばしば遠慮ぶかい、人の気をかねる人物が登場したが、
作者としての万太郎はどこまでも自分流儀を
ふてぶてしく押し通し、ジャーナリズムに妥協しなかった。
作品を書くにさいしては、素材の選択にきびしく、
柄に合わないものには決して手を出さなかった。
自分の世界を崩さず、東京下町の、自分の作り上げた
浅草という仮構(フィクション)の空間に限定した。・・
自分の場所は動かさず、微動だにしなかった。
しかも、若年にして、みずからの独自な文体を造り上げた。
万太郎作品の特色は吟味されたセリフにあった。
日常語、俗語を自在に駆使し、仕方噺でも演ずるように、
文章の間のとりかたは絶妙であった。
ひらがなや句読点の使いかたに気を配り、
『・・・』を多用し、作者の吐息までが読者の
目や耳や肌にじかに伝わるようにした。
ときに小説一篇を会話で大半構成する、という
離れ技を演じたこともあった。」(p22~23)


以下は、
酒に関する箇所が興味深かったので引用することに、


「祖母に溺愛されて育った万太郎の性格には、
複雑に屈折し、矛盾したものがあった。気むずかしい半面、
人付き合いは決してわるくなかった。
それは下町っ子に共通した習癖でもあったが、
とりわけ万太郎は見栄っぱりの、照れ性で、
気心の知れない相手には、人見知りがはげしかった。
・・・・
自分の身の置きどころに窮すると、
すぐ酒盃を手にした。熱燗の酒を好み、
猪口(ちょこ)に注いだ酒をパッと空けると、
すぐ相手に差し、そのあと返盃を求めた。
とにかく献酬のピッチが早かった。
酒の銘柄など選ばず、味わうよりも酩酊するための酒だった。
酔えば照れ性や人見知りが消えた。そして度胸がついた。
介添役をそばに置き、正体もなく酔っ払った。
親しい者には溺れるように甘えかかり、
見境いもなく泣いたり、掻き口説いたりした。
そういう酒の酔いかたがいつしか彼の流儀となり、
周囲がまたそれを許した。」(p29~30)


「万太郎は東京の浅草生まれにも拘らず、
刺身などのナマモノや酒飲みの喜びそうな、
うに、からすみ、このわた、塩辛などの類は
一切口にしなかった。その代り
玉子焼き、豆腐のあんかけ、柳川鍋などが好物で、
他にトンカツをよく食べた。
家庭料理はシチューとライスカレーで、
味つけから煮炊きまで自分でした。
衛生にうるさい昔気質の祖母に躾けられた
幼児性が飲食の好みにも残っていた。」(p43)


うん。ここも引用しておかないと、片手落ち。

「万太郎は酒が入ると、放縦になり、
手に負えなかったが、シラフのときは下町の
商家育ちらしく、朝は誰よりも早く出勤し、
夜は遅くまで居残って、仕事をするのを厭わなかった。
わが儘なようでいて、周囲には満遍なく気を配り、
勤め人の環境にも無理なく順応した。」(p12)

本文はまだまだ、いろいろあるのですが、
一応、私が興味のある箇所を引用しました(笑)。

それから、小泉信三と久保田万太郎との
接点が興味深く。本には別の箇所で、
小泉信三氏の紹介もでてきます。

さてっと、
久保田万太郎の作品を、
この夏、すこしでも読めますように。
コメント
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