本日の産経抄のはじまりは
「日本は韓国の手本」。
とあります。
ふむふむ、と読み始める。
読みながら私に思い浮かんだのは、
石井英夫氏の本のあとがきでした。
石井英夫著「コラムばか一代」(産経新聞社・2005年)
その副題は「産経抄の35年」となっておりました。
そのあとがきは、こうはじまります。
「長い間、産経抄は騒々しい戦場で書くのがならわしだった。
執筆の場は、騒がしければ騒がしいほど新聞コラムを書く
環境にふさわしいとすら考えてきた。
新聞社の論説委員室のことだから、
もとより明窓浄机など望むべくもない。
周りではああでもない、こうでもないと
論議が沸騰していることが多い。
それを背中で聞きつつ、時に振り向いて
『ちょっと、これをどう考えたらいいかね』
などと仲間に問いかける。
その助言や示唆を参考に
コラムを書く日も少なくなかった。・・・」
(p283)
では、おもむろに、今日3月1日の産経抄の
前半を引用。
「『日本は韓国の手本』。
平昌五輪の開会式を中継していた
米NBC放送の解説者の発言が、
猛反発を受け謝罪に追い込まれたのは記憶に新しい。
日本の植民地支配を擁護した、というのだ。
騒動には『続編』があった。
米経済紙『フォーチュン』(電子版)もまた、
『発言は重要な真実を含んでいる』との趣旨の記事を掲載した。
日韓の歴史にくわしい識者なら、当然の指摘である。
日本の朝鮮統治については、否定的な面ばかり強調されてきた。
ただし米国では、史実に基づいた研究も進んでいるようだ。
その成果の一つが、『「日本の朝鮮統治」を検証する』
(ジョージ・アキタ、ブランドン・パーマー著、草思社)である。
本書によれば日本は、朝鮮の経済・産業・教育などの
インフラ構築に、他の植民地保有国に比べて、
はるかに多くの努力を払ってきた。
慰安婦をめぐっては、『性的奴隷』という表現は
不適切だと、明確に否定している。・・・」
これがコラムの半分。
最後の方に
「・・心配していたら、
ジャーナリストの堤堯さんが
『月刊Hanada』4月号で、
『発想の転換』を提案していた。・・・」
とありました。
Hanada4月号といえば、
室谷克実氏の「報じられない平昌五輪の惨状」
と題する文を読んで印象に残っております。
そこにも、五輪のNBC問題が取り上げられており
引用しておきます。
「・・・NBC批判は吹き荒れた。
入場行進の際、NBCのコメンテーターが
『韓国が発展していくうえで日本が
文化的、技術的、経済的に重要な手本となっている』
との趣旨を述べたことがケシカランというのだ。
韓国の新国技とも言える抗議のサイバー攻撃が始まり、
NBCは早々とコメンテーターを降板させた。
解説の趣旨はまさに事実だろうに、
アメリカの『言論の自由』とはこの程度のものなのか。
韓国はフランスから気象衛星を購入し、
フランスに打ち上げてもらった。
それを運用してきたのだが、
まるで平昌五輪の開会を待っていたかのように、
衛星の観測用機器がダウンした。それで、
日本の気象衛星が地上に送ってくる映像を見て、
天気予報を出している。
この一事だけ見ても、
『重要な手本になっている』どころか
『寄生している』のだ。
NBCがコメンテーターを降板させて
謝罪のコメントを流しても、
韓国の世論は収まらなかった。
このコメンテーターがコーヒーチェーン、
スターバックスの取締役に名を連ねていることが分かると、
今度は『スタバ不買運動』を始めた。
こうした喧噪もまた、
数々の失態・不手際を糊塗するのに、
役立つのだろう。」(p235)
それから、失態・不手際の
列挙が読めました。
うんうん。こういう報告を
背中で聞きつつ、産経抄は
書かれているのだろうなあと、
今日あらためて
「背中で聞きつつ」産経抄。
その魅力を感じたのでした。
はい。私がその魅力に鈍感だった
だけなのかもしれませんね。
「日本は韓国の手本」。
とあります。
ふむふむ、と読み始める。
読みながら私に思い浮かんだのは、
石井英夫氏の本のあとがきでした。
石井英夫著「コラムばか一代」(産経新聞社・2005年)
その副題は「産経抄の35年」となっておりました。
そのあとがきは、こうはじまります。
「長い間、産経抄は騒々しい戦場で書くのがならわしだった。
執筆の場は、騒がしければ騒がしいほど新聞コラムを書く
環境にふさわしいとすら考えてきた。
新聞社の論説委員室のことだから、
もとより明窓浄机など望むべくもない。
周りではああでもない、こうでもないと
論議が沸騰していることが多い。
それを背中で聞きつつ、時に振り向いて
『ちょっと、これをどう考えたらいいかね』
などと仲間に問いかける。
その助言や示唆を参考に
コラムを書く日も少なくなかった。・・・」
(p283)
では、おもむろに、今日3月1日の産経抄の
前半を引用。
「『日本は韓国の手本』。
平昌五輪の開会式を中継していた
米NBC放送の解説者の発言が、
猛反発を受け謝罪に追い込まれたのは記憶に新しい。
日本の植民地支配を擁護した、というのだ。
騒動には『続編』があった。
米経済紙『フォーチュン』(電子版)もまた、
『発言は重要な真実を含んでいる』との趣旨の記事を掲載した。
日韓の歴史にくわしい識者なら、当然の指摘である。
日本の朝鮮統治については、否定的な面ばかり強調されてきた。
ただし米国では、史実に基づいた研究も進んでいるようだ。
その成果の一つが、『「日本の朝鮮統治」を検証する』
(ジョージ・アキタ、ブランドン・パーマー著、草思社)である。
本書によれば日本は、朝鮮の経済・産業・教育などの
インフラ構築に、他の植民地保有国に比べて、
はるかに多くの努力を払ってきた。
慰安婦をめぐっては、『性的奴隷』という表現は
不適切だと、明確に否定している。・・・」
これがコラムの半分。
最後の方に
「・・心配していたら、
ジャーナリストの堤堯さんが
『月刊Hanada』4月号で、
『発想の転換』を提案していた。・・・」
とありました。
Hanada4月号といえば、
室谷克実氏の「報じられない平昌五輪の惨状」
と題する文を読んで印象に残っております。
そこにも、五輪のNBC問題が取り上げられており
引用しておきます。
「・・・NBC批判は吹き荒れた。
入場行進の際、NBCのコメンテーターが
『韓国が発展していくうえで日本が
文化的、技術的、経済的に重要な手本となっている』
との趣旨を述べたことがケシカランというのだ。
韓国の新国技とも言える抗議のサイバー攻撃が始まり、
NBCは早々とコメンテーターを降板させた。
解説の趣旨はまさに事実だろうに、
アメリカの『言論の自由』とはこの程度のものなのか。
韓国はフランスから気象衛星を購入し、
フランスに打ち上げてもらった。
それを運用してきたのだが、
まるで平昌五輪の開会を待っていたかのように、
衛星の観測用機器がダウンした。それで、
日本の気象衛星が地上に送ってくる映像を見て、
天気予報を出している。
この一事だけ見ても、
『重要な手本になっている』どころか
『寄生している』のだ。
NBCがコメンテーターを降板させて
謝罪のコメントを流しても、
韓国の世論は収まらなかった。
このコメンテーターがコーヒーチェーン、
スターバックスの取締役に名を連ねていることが分かると、
今度は『スタバ不買運動』を始めた。
こうした喧噪もまた、
数々の失態・不手際を糊塗するのに、
役立つのだろう。」(p235)
それから、失態・不手際の
列挙が読めました。
うんうん。こういう報告を
背中で聞きつつ、産経抄は
書かれているのだろうなあと、
今日あらためて
「背中で聞きつつ」産経抄。
その魅力を感じたのでした。
はい。私がその魅力に鈍感だった
だけなのかもしれませんね。