和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

アダチ君、年をとったら詩を書きたまえ。

2018-03-08 | 詩歌
足立巻一詩集(日本現代詩文庫・土曜美術社)の
詩集の最後は「未刊詩篇『竹中郁追慕詩抄』」でした。
その未刊詩篇の詩の最後の二行は

 ——— アダチ君
    年をとったら詩を書きたまえ。


そうかと、
竹中郁詩集(思潮社・現代詩文庫)をひらく。
そうじゃなかった(笑)。
竹中郁著「消えゆく幻燈」(編集工房ノア)をひらく。
いろいろな人への文が並びます。
そこに足立巻一を紹介した文が二つ。
その一つは「『火の玉丸』『足立丸』」という4頁の文。

そこに、足立巻一氏が紹介されているので引用。

「足立君のTVの表現を見ていると、明快で敏速で、
よく電波映像の本質を利用しているのに感心する。
慣れたもんだ、という納得がいく。
足立君は犬や猫を手なずけるように、
文学や音や映像を手なずける能力をもっている。
新聞につとめていたときはよきライターだったし、
『きりん』に毎月連載した『詩のアルバム』を書いたときは、
よき理解者であり、よき文章家であった。
とくに、書きつづけているうちに、
毎月毎月の出来ばえがうなぎ上りで、
その練達には『かなわん』とさえ思えた。

・・・・・一口にいってしまえば
『あいつは火の玉』なんだ、としか考えられない。
ぼくには見えるのだが、手を近よせると熱くて
火の中へ指がつっこめない。
いつも精一ぱい働いてなくては気のすまぬ男なのだ。

俗世的な事務処理なども手に入ったもので
かれの奔走でわれらの『きりん』経営の危機は
なんべんも立直った。世間の荒波を
くぐった深さがわたくしなどとは段ちがいで、
こんなときには、わたくしなどは『ボンチやなあ』と
自ら嘆かれてくる。
かれが傍にいてくれるのでわたくしの永年の
児童詩育成作業も根がつづくといったものである。」
(p146~147)

この短文の最後でした。
こうあります。

「足立君、年をとったら、
ゆっくりと詩を書きなさい。
今は火の玉でも。」
 (昭和39年12月・・)p148


あとは、
足立巻一著「評伝竹中郁」(理論社)の
p18~p24までも引用したくなるのですが、
またの引用の機会がありますように。
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